青蓮亭日記

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2009年 03月 02日

戦後配給された子ども服

画像のワンピースやシャツは、敗戦後にアメリカから支給された子ども服だという
(追って赤ちゃん用?の短いズボンのついたロンパースも入荷予定)。

3歳児用くらいのサイズだろうか?
ZOOも「かわいいね。こういうの、子どもがいたら着せたいね」と言っていた
(こんなことを言うのは珍しい。それだけカワイイってことか……)。

まだ調査中なのだけど、これらの服はいわゆる「ララ物資(ららぶっし)」なのではないか?

「ララ物資」とは、
ララ=LARA(Licensed Agencies for Relief in Asia=アジア救援公認団体
《アジア救済連盟とも》)の提供していたアジア(特に日本と朝鮮)向けの援助物資のこと。

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LARAとは、アメリカ合衆国救済統制委員会が1946年6月に設置を認可した、
日系米国人のアジア向け援助団体。
アメリカ・サンフランシスコ在住の日系人 浅野七之助が中心となって設立した
「日本難民救済会」を母体に、宗教・労働関係13団体により組織された。

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主に寄付をしたのは、南北アメリカ大陸在住の日系人で、
主な支援物資は食料・衣料・薬品などの生活必需品。
代表例は日本の学校給食の脱脂粉乳。

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当時のアメリカにおける対外的な慈善活動は、
海外事業篤志団アメリカ協議会
(American Counsel of Voluntary Agency for Work Abroad)が担っていたが、
その対象地域は欧州のみで日本は含まれていなかった。

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そのため、日本に対する援助物資輸送のために新たな援助団体を設立する必要があった。
反日感情が残る米国において「アジア救援公認団体」設立が認可されたのは、
知日派のキリスト教系会員の尽力が大きかった。

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日本国内での物資配付にあたっては、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の意向により
日系人が関与していることが伏せられ、アメリカ国家からの援助物資として配付された。

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簡素ながらも女の子の服にはレース。
人の心を潤す「装飾」というものの役割を改めて思う。

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シャツにはポケット。大人の服に劣らぬ仕立て。
Tシャツはまだアメリカでも下着だった時代。

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東宝系の記録映画会社で映像アーカイヴの仕事をしていたとき、
映画館で公開していた『日本ニュース』という古いニュース映画を再編した
短編映画を観たことがあるのだけど、
小学校の給食風景に「ララ物資」とテロップが入り、
「アメリカ(国)からの救援物資」といったナレーションが入っていたように記憶している

このページで「ララ物資」と入力して検索すると、文字情報が見られる)。

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日本語のラベル。

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ワンピースには「1」、シャツには「11」の数字が。

by penelope33 | 2009-03-02 20:54 | 古いもの・古びたもの | Comments(8)
Commented by au_petit_bonheur at 2009-03-02 22:49
へ〜、知りませんでした。ララ物資。シンプルでいい感じ。
シャツの襟のバランスが好きです。
Commented by penelope33 at 2009-03-02 23:22
もしかしたら違うかもしれないですけど……。

なるほど、確かに大きめのシャツの襟がおしゃれですね。
これを着たらハナタレ小僧も小公子?(笑)。
Commented by びっき at 2009-03-02 23:49 x
ほんと勉強になります。
僕のくだらないブログとは大違いですね^^;
ほんと感心です。見習わなくては。。。

何が良いって!楽しみながら勉強できるのがいいですね(^^)
ここは僕の教科書的存在ですよ。
Commented by penelope33 at 2009-03-03 00:06
いえいえ、私も
「アメリカが脱脂粉乳とか支給したの、何ていうんだっけ?」と
うろ覚えだったのを調べて、「ああ、やっぱり服もくれたんだ〜」と。

劇映画・記録映画を問わず昔の映画をいろいろと観たので
断片的な雑学のようなものはあるんですけど、
系統的な歴史の知識はてんでないんですよね〜。 ^^;
Commented by sa55t at 2009-03-03 02:24
脱脂粉乳事件ありましたね。
長靴がミルクの袋に入っていたりして、日本の子供は家畜用の
ミルクを飲まされている!!とPTAが騒いでいたり。
Commented by penelope33 at 2009-03-03 12:12
ヒ素ミルク事件は知ってるんですが、その事件は知りませんでした。
1955年ですから『朝日ニュース』で扱っていておかしくない事件なんですけど。
T宝のスポンサーだったからという気が……。
Commented by doubtbeat!! at 2009-03-04 09:47 x
地方の親戚などから段ボールでいろいろ季節の食材とか
送ってもらったときなどはうちの親(昭和14年生)などはいまだに
ララ物資が来たとか言います
Commented by penelope33 at 2009-03-04 12:46
ナルホド〜。
そういえば私もひとり暮らしをしていた頃、実家からの“救援物資”を、
昭和3年生まれの母と一緒に「慰問袋」と話してましたね(笑)。
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