2009年 03月 28日

見送り(備忘録 2)

24日にウチの片付けをしているとき、BECKの来日公演のフライヤーが目に留まり、
「ああ、いつだっけ?」と日付を見て、「えゞっ!?」とアタマが真っ白に。
「3.24/3.25 NHKホール」……あわてて自分のチケットを見ると、
3.26 Zepp Tokyo」とあった。母の告別式の日だ。

ZOOに「ほら……サイアク」と言ってチケットを見せると、
「7時開演じゃ、全然間に合うじゃん。行ってきなよ」と言われる。

確かに26日の午後には「一区切りつく」のだから、行けないことはない。
行く気力が残っているかどうかわからないけど。
喪服のまま行く?
いや、やっぱり着替えたいよな……。

結局バッグには通夜の晩の泊まり支度の他に、
セントジェームズのボーダーシャツとジーンズを詰め込んだ。

画像は、26日夜のお台場の夜景。

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(以下は備忘録です)

25日(水)。ZOOより一足先に川越へ。
葬祭場には父と私と兄夫婦と子どもたち、それと父方の一番若い叔父が泊まり、
姉夫婦は夜遅くタクシーで帰宅すると聞いていたので、
スーパーでお茶2Lと紙コップとお煎餅、大人用に紙パックの「高清水」とおつまみを買う
(このあたり、“酒飲み&アシスタント・ディレクター上がり” の思考回路)。

3時に姉の家へ着くと、泊まるのは父と兄と私の3人だけで、
姉夫婦は予定通り夜遅くタクシーで帰るとのこと。
父は自分の車で、姉夫婦と私はタクシーで葬祭場に向かった。

親戚数人とZOOが到着し、4時半に仮納棺。
母の好きだった黒白水玉の服、留袖などを棺に収める。

6時から通夜〜お清め。
末っ子だった母の兄姉の子ども=従兄・従姉たちはみな私の姉より年上で、
初めて顔を合わせる人も。

兄が買ってきたコンチネンタル・タンゴと井上陽水のCDが流れる。

お客様と葬儀屋さんが帰り、家族だけになる。
ヤマコを外に出したままなのでZOOも帰宅。

父、兄、義兄、私とで飲みながら話をする(若干の齟齬あり)。

父が先に休み、姉夫婦が帰り、兄と私だけになる
ここ数年疎遠だった兄と他愛ない話を少しした後、12時に床に入る。
父・私・兄の「川の字」。あまり眠れなかった。

26日(木)。おにぎりとお吸い物の朝食。
ZOOにこの写真を持ってきてもらうよう電話。

11時から告別式。
母の戒名は「慈徳照順大姉」。
大柄で山伏のような雰囲気の浄土宗の僧侶から、
本来の戒名に当たるのは「照順」の二字だけで、
最初の「慈徳」は「道号(どうごう)」と呼ぶのだと聞く。

初七日の法要も済ませ、棺に花や本を入れ、12時に出棺。
私は遺影を持って従姉の車で、皆はマイクロバスで川越斎場へ。

祖父のときに経験したものの、
母の火葬というのはとても堪え難いのではないかと思っていたが、
上の階でサンドイッチなどをつまんでいる自分に少し驚きながら、
あっという間に1時間半が過ぎた。

お骨を前にすると、予想に反し「よかったね」という言葉が頭に浮かんだ。
大きな安堵と、それと同じくらいの虚脱感。

元の葬祭場に戻り、法要室で精進落としの食事。
ZOOに持ってきてもらった写真を母方の親戚に見せる。
写真に写っているひとりひとりのDNAを受け継いだ人たちが目の前に揃っている。

最後に父が挨拶。
姉や私はなんともまとまりのない挨拶だと思ったけれど、
「実感がこもっててよかったよ。拍手しようかと思ったよ」とZOO。
血族でないと、こんな風にものの捉えかたも違うんだと思った。
「結婚」って、異なる血・新しい価値観が加わることなんだなぁと実感する。

遺影、位牌、お骨を持ってタクシーで姉の家へ。
あらかじめ姉が用意していたスタンドに写真を立てかける。

後でZOOが、「俺は霊感が強いとかいうわけじゃないけど、お母さんの写真、
家に戻ったらホントに笑って見えたよ。『ああ、やっと帰れた』っていう顔してた」
と言っていた。

私だけ着替え、ZOOとふたりで本川越駅へ。
西武新宿線の特急「小江戸号」にちょうど間にあった。

普通列車より揺れの少ない車中でぼんやりと考える。

苦痛ということでいえば、
母の精神が変調をきたしてから亡くなるまでのほうがずっと辛かった。
時折襲ってくる喪失感に苦しんだ。

でも、母が亡くなった今感じている虚脱感はまた別の感情で、
親やきょうだいや伴侶や子どもを病気や事故で亡くした人のことを、
今まで自分は全然わかっていなかったのだと心底思った。

こういった感情をいちどきに味わった人のことを。

by penelope33 | 2009-03-28 12:12 | つれづれ | Comments(12)
Commented at 2009-03-28 14:24 x
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Commented at 2009-03-28 16:05
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Commented by penelope33 at 2009-03-28 17:38
> 鍵コメat 2009-03-28 14:24 さん

お気遣いありがとうございます。
そんな経験をお持ちだったんですね。
20代ではさぞ辛かったでしょうね……。

母は81歳ですから、まあ大往生の部類でしょうか。
遅かれ早かれみんなこんな経験をして大人になり、
また老いていくんですね……。
Commented by penelope33 at 2009-03-28 17:42
> 鍵コメat 2009-03-28 16:05 さん

経験しないとホントにわからないですね。
でも、経験するまでは、想像力で補うしかないですよね。

「通過儀礼」という言葉が頭に浮かびます……。
Commented at 2009-03-28 23:42 x
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Commented by penelope33 at 2009-03-29 00:50
> 鍵コメat 2009-03-28 23:42 さん

私はともかく、病院や施設に毎日通って母を看ていた父は
どうなっちゃうのかなーと思います。
父の挨拶は、要約すると「まあ、みなさん元気で頑張りましょう」みたいな感じで、
ホントにそういう気持ちになってくれればいいのですが、
なんだかよからぬ兆候もあり、この先どうなることやら……。
Commented at 2009-03-30 17:01
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Commented by penelope33 at 2009-03-30 18:28
> 鍵コメat 2009-03-30 17:01さん

お気遣いいただき、ありがとうございます。
そうですよね。お父様も長く闘病されたんですよね。

私の父も、母が生きている間に何か新薬ができるんじゃないか、
また元のようになるんじゃないかと、ずっと言っておりまして、
なかなか現実を受け入れられない様子でした。

今の父は、もちろん寂しく哀しい気持ちでいっぱいだと思いますが、
先々の経済的な不安を抱えていたので、
「ちゃんと見送れた」とほっとしている気持ちも大きいようです。

しばらくして落ち着いたら、
父には何か生き甲斐をみつけてほしいですね。
Commented by びっき at 2009-03-31 17:54 x
お疲れさまでした。。。
両親とも健在で、このような経験もありませんのでこんな時、何てお声をかけてよいのか…
気の利いた言葉が浮かびません。

ただ思ったのは、優しい旦那さんでよかったですね。

まだまだいろいろ忙しいとは思いますが、お体をお大事に。
Commented by penelope33 at 2009-03-31 18:29
びっきさん、お気遣いいただき、ありがとうございます。

非常にプライヴェートな体験ではありますが、
遅かれ早かれ誰もが対峙することかなと思い、
ブログという公の場に書き残すことにしました。

相方は神経が細い分、頼りない面もありますが(笑)、
今回はずいぶん助けてもらいました。
家族のありがたみを痛感しております。

まだなんとなくぼんやりしていますが、
少しづつ “社会復帰”したいと思っております。
Commented at 2009-03-31 22:42
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Commented by penelope33 at 2009-03-31 23:28
> 鍵コメat 2009-03-31 22:42 さん

お気遣いいただき、ありがとうございます。

葬儀やお墓については、
基本的にはずっと母を看てきた父の意向を尊重しているのですが、
親きょうだいで意見が揃わない部分があります。

海に帰られたお父様は幸せでしょうね。
「心の中にいるから」とおっしゃるダンナさまの言葉や姿勢が兄とダブり、
いろいろと考えさせられました……。
ありがとうございました。


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