2010年 03月 05日
昨日(4日)終了した、澄 敬一「the winter market」展@DEE'S HALL。 以下、緑字部分は澄さんによるテクスト、 グレーの文字の部分は、私(青蓮亭)によるもの。 『the winter market』は、 アメリカの作家ウィリアム・ギブスンが1985年に発表したSF小説のタイトルから引用している。 この短編に登場する「ルービン」は、ゴミの先生、廃物(JUNK)の巨匠と呼ばれるアーティスト。 モデルはジョセフ・コーネル(1903-1972)といわれている。 コーネルは、旧い素材にさらに “偽の経年変化” を施し、製作年代がわからないよう加工する。 自分は、旧い素材を洗い、汚れやワックスを落とし、 素材が呼吸できるようにして、それをマテリアルとする。 方向は真逆であるが、どちらも未来を指向していると思っている。 南側がガラス・ファサード(=正面外観)になっている「DEE'S HALL」の開放的な空間に、 リュート、チェロ、ピアノなどの静かで温かみのある音楽 (主にルネッサンス、バロック音楽とのこと)やムソルグスキーの『展覧会の絵』に混じって、 1974年に26歳で早世したイギリスのシンガーソングライター、ニック・ドレイクの曲が流れている。 映画『ブレードランナー』(1982年)で、 自らが「レプリカント(精巧な人造人間)」であることを知らない レイチェル(ショーン・ヤング)がピアノを弾くシーンを、なぜかふと思い出す。 小説『The Winter Market』で、澄さんが自らを重ねる存在は「ルービン」だが、 説話的な主人公は、アーティストの無意識層のイメージを編集する「編集屋のケイシー」である。 ケイシーの父親は、小説の中では既に骨董品となっているレコードの原盤をつくるエンジニア。 i-Podを内蔵した蓄音機のスピーカーから流れてくるクラシカルな音楽が、 彼の父親がマスタリングしたもののように思えてくる。 『ブレードランナー』で、 レイチェルが自己のよりどころとする古い子ども時代の写真(実は設計者の娘の写真)を かたわらにピアノを弾いていたのは2019年。 澄さんによると、「ここ」はさらに未来の世界なのだという。 レンズ付きの丸額の中にいるのは、6歳の頃の澄さん。 お父さんがトラピスチヌ女子修道院の修繕・増改築などを手がける工務店を経営していたため、 工事の残材、解体作業で出た廃品などで積み木遊びをして育ったそうだ。 内向的で人見知りな子だったとか。 (画像下)「可変シェード」 照明器具は、電圧の調節や上下移動・左右移動、 加えてシェードの反射面の可変ができれば、多様な空間の演出ができる。 このシェードは、ステンレス製の蒸し器から型を取り、 給食用アルミトレイなどから1枚1枚切り取ったプレートで製作した。 (アルミシェードの向こうに見える)昭和の黒板は、京都のとある商家からの蔵出し品。 子どもがいたずら描きをしたのか、黒い線がクルクルと適当に描かれている。 この螺旋が、 ヤン・ファーブルがBICのボールペンでキャンパスに描いた昆虫の軌跡のように思えた。 ある人は「サイ・トンブリーの作品のようだ」と言い、 あるアーティストは「ヴィルヘルム・ハンマーズホイの描く部屋のようだ」と言った。 この展覧会には、澄さんが古道具を解体・再構成した作品の他に、 この黒板のように、入手してからほとんど手を加えていない品々も展示されている。 ルービンは、コンピューター他ハイテクを駆使して作品をつくっているが、 ひらめいたアイディアを書き留め、スケッチするために、 案外こんな黒板も使っているのかもしれない。 ちなみに澄さんは、古道具を直すのにも、 ここにあるような作品をつくる場合も、全くスケッチというものをしない。 文字通り「一線も引かない」のだそうだ。 印鑑入れを利用した鉛筆立て。 最初見たときには、「これって何だっけ……?」と、ついに正体がわからなかった。 “外枠” は後ほど登場。 (画像下の中央)戦前の輪投げをベースにして、 アメリカ製のソケット、電熱器などを組み合わせたフレームに、 フランス製の梱包糸を編んだシェードを被せたもの。 梱包用麻糸で編んだ椅子。 壊れた旧いドクター・チェアのフレームを直し、別珍のカバーを外す。 妻(=松澤紀美子さん)は夕食後に空いた時間を利用し、 3週間かけて、梱包用の麻糸で編みながら包んでいった。 「鎖帷子(くさりかたびら)」のようなニット。 北欧風の椅子は昭和30年代の国産品。 作者自身によるツアーガイド。 木製大判カメラのピントグラスを使った、フィルターをかけたい写真のための額縁。 ウサギのポストカードは去年私が澄さんと紀美子さんに出した年賀状(思わぬところで再会!)。 昭和期のトイ・ピアノをタイプライターのボディに組み込んだもの。 楽譜でなく、ビジュアル(絵や写真)やテクストを配した書物が置かれるとき、 このオブジェは真価を発揮する。 五感のそれぞれを他の感覚に置き換えて表現することは、 最も初源的な創作行為のひとつではないかと思う。 「この本からどんな音が聴こえる?」と問いかける道具。 画像上の右端の網状のトレイは、 こたつの赤外線灯のアルミカバーをトリミングし、表面処理を施したもの。 左奥の木の壺はもとは漆器(拭き漆)だった。 漆器の質感(色や艶)は好まないが、古い漆器のフォルムには心惹かれるものが多い。 他人にまかせた料理を口に運ぶ前の検査装置。 ウィリアム・ギブスンの描く世界から抽出したエッセンスか、 あるいはルイス・キャロル的、ブラザーズ・クエイ的などといったらいいのか。 ユーモアやウィットを超え、ナンセンスや悪夢、狂気と紙一重の凄みのようなものを感じる。 ナイフを使わずビザなどを等分する皿。 ルービンはこの部屋をスタジオと呼んだことがないし、芸術家と自称したこともない。 自分がそこでやっていることを、“ただのひまつぶし” と名づけ、 それを少年時代の退屈な裏庭の午後の延長と見ているらしい。 —『冬のマーケット』(浅倉久志 訳/ハヤカワ文庫『クローム襲撃』所収)より— 壁にかけた額縁がどうしても傾いてしまう時のための水平調整装置付き額縁。 大判木製カメラの部品を使用。 サイドに何本も使用されていた真鍮製のネジを引き抜き、 代わりに細い木を埋め込むという徹底ぶり(真鍮の光沢が嫌いなのだそうだ)。 北米だろうか?雪の中で綱引きに興じる人々の古い写真。 大型ヤカンを切断して取り出した片口、戦後すぐの木製玩具「くり船」など。 画像の奥に見えるのは、アルミ製のパンタグラフ。 2008年夏に目黒のCLASKA 2F ギャラリー&ショップ “DO” で開かれた展覧会でも、 大きな無垢材のパンタグラフがつり下げられていた。 澄さんはパンタグラフが好きだそうで、 この精巧なアルミのパンタグラフも特別な意図もなくつくったのだと思うが、 私にはこれが王冠のように見えた。 そして、ギブスンの原作に登場する痩せた麻薬常習者の少女「リーゼ」を思い出した。 先天性の障害のため、ポリカーボン製の外骨格(エクソスケルトン)で覆われ、 その外骨格のプログラムによりかろうじて動いている(おそらくハイティーンの)少女。 彼女は自分の頭の中に、後に『眠りの王たち』とタイトルがつけられ、 パッケージされることになる、ある強力なヴィジョンを持っていた (想像するに、これはヘンリー・ダーガーの『非現実の王国で』の中で 戦い生きる少女から見た世界のようなものではないか……?)。 ケイシーがデモ・ソフトをつくるや、たちまちリーゼにはハリウッドのエージェントがつき、 スタイリストと上等な服、念入りなヘアメイク、合成麻薬(デザイナーズ・ドラッグ)、 そして医師団までが与えられるセレブリティに。 本レコーディングされ、編集され、リリースされた『眠りの王たち』は 若者たちを熱狂させ、リーゼと関係者に大金をもたらすが、 彼女がどうしても取り外そうとしない外骨格は彼女の痩せた身体を傷つけ、 合成麻薬が生気のない白い肌をさらに食い荒らし、灰色の目は深い絶望を浮かべたままだ。 このアルミのパンタグラフは、リーゼのスケルトンの軋みを想起させる。 また、この “ハイテクの聖ジャンヌダルク” にふさわしい “イバラの王冠” だとも。 「足踏式アコーディオン右用」 人間の身体で最後に残った未開発の部位は足の指である。 これは足指の機能訓練のためのツール。 足踏みでふいごから空気を送り、足指で奏でるアコーディオン。 足指を自在に使えたら、道具や機械はそれに対応して進化するはず。 無重力空間で暮らす者にとって、足の指を自在に使うことは必須になるだろう。 ふいごなどが壊れた小さなボタン・アコーディオンを箱に入れたもの。 音を出すために内蔵した掃除機が、ふいごの代わりに空気を取り込んでいる。 一度このアコーディオンの音色(爆音に近い)を聴いてしまうと、 掃除機を使うたびに音楽が聴こえてくるだろう。 パリのカフェでギャルソンをするフィリップは、売れない画家である。 彼の自尊心は、給仕をする時に使うトレイがパレットでもあることで かろうじて保たれている。 なんと痛快なエスプリ! 3段のアルファベットを、あるスイス人の名前になるよう組み合わせると、 中の硬貨を取り出すことができる。 一緒に行った友人が、ある学者(思想家)のイニシャルを言い当てた。 ガラス管の中の液体と気泡のように、 人の身体の中の液体にも同じような気泡があるのだろうか? 水準器の気泡が示す水平のように、それらは身体と精神のバランスを 整えたり、崩したりしているのだろうか? イタリア製のピノキオを解体・漂白・再構成している。 木人形に生命を宿すためには、水とバランスを必要とする。 昨年末に神田の「小出由紀子事務所」で開かれた『ルアッサンブラージュ』展のレポートで、 水平器を組み込んだ『十字架』という作品について、 「もしかしたら人間には、 信仰より地球の重力に対する物理的な均衡のほうが重要なのかもしれない」と書いた。 澄さんの作品や言葉と、それを目にしたことで生まれる自分の思考やヴィジョンが フィードバック(=変容しながら行きつ戻りつ)しているような気がする。 地上730メートル、およそ200階建ての建物の高さ、直径は100メートルにもなる。 国民健康省が、2020年に初めて東京湾に浮かぶ人工島に設営し、 今では国内で数十機が稼働中である。 これはその発電所の1000分の1の記念模型。 正面の開口部に向かって吐き出された人々の言葉は、 内部の装置により電力に変換され、スタンドに供給される。 変換されなかった有害物質は頂部の換気塔で排出する。 接地部分のパーツは、廃坑になった北海道のある炭坑の宣伝用ミニチュア・ストーブ。 それに、アンテナ、カップ、漏斗などのアルミ製品を組み合わせている。 悪口、悪態、嘆き、悲鳴、届かぬ思い、罵詈雑言、呪詛、4 letter wordsなどなど、 ストレスから発せられた負の言霊が文字通り電力というエネルギーになる世界、 それが最大の発電源になる時代を想像してみる。 “変換されない有害物質” は新たな公害をもたらすだろう。 今回の展覧会の、近未来の「ディストピア(破滅郷、絶望郷)」的な側面の象徴となる作品。 おそらく戦後のラバー(ゴム)製の鳩のおもちゃ。 下に笛があり、鳩を握るとピヨピヨという音が鳴る。 今回の核となる作品が一種の「箱船」なので、オリーブを探すための鳩と止まり木を用意した。 本は、フランスの写真家ユジュン・バフチャルの作品集。 彼は14歳で失明。その後、友人にイメージを伝えて写真を撮るようになった。 撮った写真は “言葉で見る” という、盲目の写真家。 バフチャルの写真には、鳥がよく登場する。 盲目が暗示する世界もあるのだろうと思い、置いてみた。 「書見台」 大正時代の座椅子の一部をベースにしている。 左にはペン立て、右には本をめくるために指を湿らす道具を用意している。 展示してある本は、アンドレ・ケルテスの『ON READING』。 本や新聞を読む人達を隠し撮りした写真集。 精密作業用レンズ付スタンドに、譜面台を移植したもの。 「渦巻スプーン」スープを飲んでいるふりをすることが必要な場合もある。 渦巻の外方向の端に穴が空いているので、嫌いなスープはここから流れていく。 「おあいこスプーン」一つのスプーンで正しく分け合うためのものである。 一見オーガニックなラインを持つ部品は、パチンコ台の玉がジャラジャラ流れる部分。 書見台は、「push me pull you」(池尻大橋にあった澄さんの店)で、 海で拾った鉄くずと長い木のオールを使って作ったのが最初。 オールが桟橋で、そこに羽根を広げたカモメ(=開いた本)がとまっているイメージだった。 印鑑ケースの内部を解体、構成しなおした、本やオブジェを収める回転ケース。 上段の郵便物はヤン・ファーブル本人からのもの。 知人から譲り受けた。 オーソドックスなヤカンのように、純粋に機能から生まれたフォルムは、 ある完成形を示しており、本来なら変える必要がない。 それらをあえて解体・再構成することで、新しいフォルムを見い出し、 新しい役割を発生させることができるのではないか?……といった試みを続けている。 このケトルの上の部分にはわざわざ「底」がこしらえてあるが、 澄さんと紀美子さんの著書『1×1=2 二人の仕事』に写真が掲載されている、 ケトルの上の部分をランプ・シェードに仕立てたものは、 今も紀美子さんの作業場の上につり下げられているそうだ。 ネオン管の花は、工場での栽培が終わり、技術史的に博物館行きのものである。 ゆえに標本瓶に入れてある。 「ウィッチ・ブルーム」 スコップ状の先端から取り込んだ空気の振動エネルギー(呪文/ワード)を増幅し、 後部から噴出させ空中を推進する乗り物である。 赤道上では最高時速1,36Ma(1660km)をマークするが、 地球の自転のスピードと同じなので、地上からは不可視の存在となる。 「Pignose(ピグノーズ=「豚の鼻」)」というアメリカ製のアンプ・スピーカーを使用しているそうだ。 スイッチをONにすると、構造上ハウリングが生じる。 「howling」=すなわち「狼の遠吠え」が「魔女」のパワーを増幅させる。 「船」あるいは「家」 温暖化に因らなくても、ここもそのうち海に浸食されていくだろう。 水上での生活に備えて、船を作らなければいけない。 今ここにあるものを使って。 大きな船でなくていい、沢山の家財を積み込む必要はない。 雨戸や鍋、ボウル、ハンガーやたんすの引出しがあればいい。 アスファルトの下から水路が見えたら漕ぎ出そう。 CLASKAでつり下げられていたパンタグラフが組み込まれ再構成されている船。 ひとり乗りの底のない船は、 細々した生活道具を取り付けず『独身者の箱舟』とでも題されていれば(ベタか……?)、 より象徴的に、より “アート” らしい雰囲気をまとっていたのではないかと思うが、 澄さんはそうはしなかった。 ナイフがあれば鉛筆削りなんて必要ないかもしれない。 でも、「この鉛筆削りはすごく好きだから絶対欠かせない」という人だっているかもしれない。 中空に浮かぶこの骨組みだけの船は、 見る者に「自分が生きていくためにはいったい何が必要なのか」という問いを投げかける。 今はほとんど観光目的だとも聞くが、 香港あたりの水上生活者の平底帆船を “JUNK” と呼ぶことを思い出した。 船の図鑑を見ていたら、ノアの箱船の大きさが書いてありました。 長さは300キュビト、巾50キュビト。 1キュビトが44cmなので、132m×22m、およそ1万5千トンの船だったそうです。 父は40年ほどある修道院の修復に携わっております。 自分も小さな時からその父の仕事場である修道院によく連れて行ってもらいました。 トラックに乗って観光客を横目に過ぎて、大きな扉の前で一時停止。 クラクションを鳴らすと、門番の修道女さんが笑顔でその扉をギギーッと開けてくれるのです。 扉の向こうは松やポプラなどがこずえを広げています。 細い曲がりくねったガタゴト道を下りながら進むと、麦わら帽子をかぶって、 大きなフォークを肩にのせた腕の太い丈夫そうな修道女さんが歩いています。 おんぼろの赤や緑のトタン葺きの幾つかの小さな納屋やら作業場が続き、 底が見えない池を通り過ぎて今度は上り坂です。 トラックが止まると、いつのまにやら牛や干し草の匂いが消えて そこはとっても甘い好い匂いがするところ。 沢山の修道女さんがクッキーやバター飴を作っているのでした。 そんな修道院に行くのがとても好きだったのです。 以前『アメリカ・アーミッシュの人びと』という本を読みました。 シェーカーとアーミッシュの違いを知りたいと思ったからです。 幼い時に親しんだ修道院はカソリックでしたし、三者それぞれ別な世界ですね。 ただ、規律への従順さ、質素、自我の否定、共同体への連帯意識などは、 共通項なのかな、と思います。 この本の利益のほとんどは、アーミッシュの人びとへの医療費にあてられるとか。 「主が与え、主が取り去られる」という聖書に従いながら、 薬草への知識は豊富でも、現代医学に頼らざるを得ない一面もある。 著者が25年間という年月を費やし撮りためた膨大な写真の中から、こうして フォトジェニックな優しく美しい写真ばかりを選択した理由もそこにあるのでしょう。 アーミッシュやシェーカーのような暮らしに憧れて、その道具や衣服を集めることは出来ても、 真の意味での彼らのありようはまねできない自分達にとって この写真集は、スーザン・ソンタグが言う「絵はがきのようなもの」なのかもしれません。 でも、将来温暖化が進んで南極の氷が溶けて陸がなくなってしまいそうになったら、 自分達は、箱船を作り始めるかもしれません。 お金持ちは大きな船をこしらえるのか、庶民は団地のような船に大勢で乗り込んだり、 個々それぞれ小さな船を作ったりするのでしょうか。 いずれにしても、最小限の生活道具しか積めませんね。 いったい、どれとどれを選ぶのか。 現代に生きるアーミッシュの簡素で素朴な暮らし、ありようを見ていると、 生きていくのに必要な物、必要な事っていくつあればいいんだろうか と考えるのです。 —『 “シンプル” という贈りもの アーミッシュの暮らしから』 (2002年/フレックス・ファーム刊)書評(雑誌『シュプール』掲載)— 最後に「ジョセフ・コーネルと澄 敬一の関係性」について触れておきたい。 昆虫標本、愛らしい少年少女や美しい女性、動植物や天体・惑星などの絵や写真、 子どもの集める小さな “宝物” のような品々を用いたジョセフ・コーネルの作品は、 意図的な “エイジング(=経年変化、汚し)” もあいまって、 一見懐古的で閉じた世界を構築しているように見える。 ごく一部を除き、大抵のボックスアートから「コーネルみたい」という既視感を拭えないのは、 コーネルの作品の表層をなぞり、このノスタルジーという陥穽にはまっているからだろう。 既成のガラクタを組み合わせる方法論はダダイズムやシュルレアリスムに遡る。 20世紀初頭、 人々は異質なもの同士を組み合わせることによって生じる “異化効果” を “発見” し、 そこに “未来” を見た。 コーネルもまた、身のまわりの取るに足らないようなガジェットを集め、再構築し、 誰も見たことのない小宇宙を創り出そうとしていたのである。 「(コーネルも自分も)どちらも未来を指向していると思っている」というのは、 澄さんのそうした自負に他ならない。 そして、コーネルの作品以上に澄さんを魅了してやまないのが、 ギブソンが『カウント・ゼロ』(1986年)において描いた “未来のジョセフ・コーネル” のヴィジョンなのである。
by penelope33
| 2010-03-05 21:57
| 観る・聴く・読む
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Comments(8)
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sa55z at 2010-03-05 22:39
今日は怒濤のアップ。最長不倒。
まるで現場に行ったようです。
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penelope33 at 2010-03-05 22:48
そうなんです。行った気になっちゃうでしょ?
なので、会期後にUPしました〜。
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なかた
at 2010-03-06 01:10
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penelope33 at 2010-03-06 11:44
洗浄し、磨き上げた廃材を巧みに再構成しているので、
懐かしくてスタイリッシュな感じがするのでしょう。 「アタゴオルの森に出てきそうな道具」っていう感じもわかるなぁ。 こっちの個展の画像も御覧くださいな。 http://seirentei.exblog.jp/12491800/
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シードマウス
at 2010-03-06 14:26
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ジョセフ・コーネルというより、ヨゼフ・ボイスのほうが近く思われました。しかし圧巻です。
お誕生日おめでとうございます。
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penelope33 at 2010-03-06 14:50
シードマウスさん、どうもありがとうございます。
もう実年齢は忘れることにしましたよ……(笑)。 ヨゼフ・ボイス……うん、私も思い出したりもしますね。 よろしかったら、このときの展示の様子と感想文もお目通しください。 http://seirentei.exblog.jp/8886943/
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at 2010-03-09 13:02
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
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penelope33 at 2010-03-09 13:58
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古道具屋「ロータス・ブルー(青蓮亭)」店主のつれづれ。家族は映像ディレクターの相方ZOO(2021年9月13日、横行結腸がん+肝転移により58歳で逝去)とキジトラ猫のヤマコ(♀/2022年9月23日、16歳で他界)。ブログ主は、膠原病類縁疾患の『シェーグレン症候群』のため療養中です。 by 青蓮亭 カレンダー
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