2010年 03月 16日
大岡昇平(1909-1988)は東京生まれ。 京大卒業後、新聞社勤務やフランス語翻訳者などを経て1944年に応召。 暗号手としてフィリピン・ミンダナオ島に赴任、 米軍の捕虜となりレイテ島の俘虜病院に収容された後に帰国した。 本書は、1948年12月に刊行された大岡の実質的なデビュー作である(第3版)。 装幀は、古陶磁研究家、装幀家、評論家として 特異な才能を発揮した青山二郎(1901-1979)。 「何もしなかった天才」などと評される青山だが、装幀した書籍は2,000にも及ぶという。 私が大岡昇平の名前を最初に意識したのは、 この『俘虜記』でも『レイテ戦記』(1952年)でもなく、 1984年に中央公論社から刊行された『ルイズ・ブルックスとルル』だった (「文学少女」ではなく「サブカル姉ちゃん」だったからしょうがない)。 もっとも、1980年から雑誌『文学界』において『成城だより』として約5年間、 少女漫画(萩尾望都、高野文子など)、漫画『じゃりん子チエ』、 ロック(村八分、ザ・クラッシュ、ジミ・ヘンドリックス、ザ・ドアーズなど)、 映画(フィリピンをロケ地にした『地獄の黙示録』など)について言及していたとは、 これまで知らなかった。 そして今、大岡昇平と青山二郎といってすぐに思い浮かべるのは、 1961年に発表され、毎日出版文化賞・新潮社文学賞を受賞した『花影(かえい)』である。 ヒロイン「葉子」のモデルとなった「むうちゃん」こと坂本睦子をめぐる “青山学院” の面々―青山二郎、小林秀雄、河上徹太郎、中原中也、白洲正子、 大岡昇平といった人々の人間模様を描いたこの作品は、 “モデル小説” として物議を醸したという。 私が青山二郎と “青山学院” の文士たちの関係を知ったのは、 白洲正子の著書『いまなぜ青山二郎なのか』(1991年/新潮社 刊)。 十数年前に勤めていた記録映画製作会社に、 撮影部のトップでありながら東郷神社の骨董市などに古物業者として出店していた、 美意識はあるがかなりクセのある性格の御仁がいた。 同書は、私が骨董に興味があると知った彼が貸してくれた “参考書” のうちの1冊だった。 「むうちゃん=坂本睦子」というのは 銀座のバーの “女給” (ホステスという言葉が使われる前の時代だった)であった女性で、 小林秀雄が求婚したのを初め、青山二郎を除く “青山学院” の文士のほとんどが惚れ込み、 関係を持ったという一種の「ファム・ファタール」(=運命の女)。 『花影』では、この睦子が自殺する直前まで8年間関係を持った大岡昇平が、 青山二郎のことをヒロインのヒモ同然の情けない美術評論家として描いているのだが、 『いまなぜ青山二郎なのか』で白洲正子は青山を擁護し、大岡を糾弾する。 手元に、友人がコピーしてくれた白洲正子と心理学者 河合隼雄との対談がある (『河合隼雄対話集 「心の声を聴く」〜 《4》魂には形がある』1995年・新潮社 刊)。 河合隼雄は、『いまなぜ青山二郎なのか』の中で一番興味を惹かれたのが、 この「むうちゃん」で、 「私が相談室で会う女性の非常に深いところに住んでいる人物」と述べている。 青山は彼女のことを 「自分の顎に綱をつけた悲しい虎が、その手綱をくはえて…… 本来の女性に立返りたがつて彷徨ふ有り様」と評し、 『花影』のヒロイン「葉子」は、青山をモデルとした「高島」のことを、 「仕事だけで認められるなんて、つまらないわ。何もしないで尊敬されれば、なお立派じゃないの」 「生きているだけで、いい」と言う(これは睦子が実際に口にした言葉だという)。 白洲正子は、現実に「むうちゃん」が精神的な支柱としていた青山の存在について、 「大岡さんの焼餅で、くやしくてたまんないのよ(笑)」と言う。 これに対し河合隼雄は、 「だから青山さんをモデルにして、小説の中で仕返しをした(笑)。 でもね、そういった面だけじゃなくて、 ああでもしないと青山さんから距離がとれないということもあると思うんです。 距離を取るためには、何かを破壊しなければならないんですね。 文学やってる人はみんなそうじゃないですかね。 ものすごく仲のいい友達になっても、ある一定以上の距離を越えて近寄ってしまったら、 あとはもう破壊するしかない。裏切りとかね。 白洲さんが書いておられたように、 『高級な友情』(=青山二郎と小林秀雄の関係)というものは、 やはり大変ですわ。なかなか簡単に成立しない」と答えている。 『俘虜記』発表時、大岡昇平は39歳、青山二郎は47歳。 『花影』発表の12年前である。 白洲正子から「卑怯な小心者」のように言われる大岡だが、 自分と誕生日が同じということもあって、勝手に親近感を抱いている。 『花影』は1961年に監督:川島雄三、主演:池内淳子で映画化されている。 青山二郎に当たる「高島」を佐野周二 、 大岡昇平に当たる「松崎」を池部良が演じている (私は未見。ZOOは「おもしろかった」と言っている)。 製作は東宝の子会社だった東京映画。 私が在籍していた記録映画製作会社が運営していた「目黒スタジオ」は、 当時この東京映画の撮影所だったから、多少の縁があるといえなくもない。
by penelope33
| 2010-03-16 22:55
| 古いもの・古びたもの
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Comments(2)
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au_petit_bonheur at 2010-03-16 23:27
きれいな青ですね。
投稿、なるほど、ふむふむと拝読しました。すごい。 距離と破壊のくだりに何か懐かしさも覚えたりして。 (なぜ?)(笑) お母様がなくなられてからもう1年なのですね。 すごく身近に感じられます。
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penelope33 at 2010-03-17 00:20
はっと目を引く装幀なんです。
青山二郎はこんな仕事はチョイチョイとやってたのでしょうけどね。 距離と破壊のくだりは、私も苦い記憶を思い出したりしました。 別に文士やアーティストでなくても、 近すぎるがゆえに衝突・決別するような関係ってありますよね。 母が死んでもう2〜3年経つような気もしますし、 その一方で、自分の日記を読むと、ついこのあいだのような気もします。 |
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