2011年 07月 26日

義父・渋谷 清の半生

義父「渋谷 清」は1936年(昭和11年)11月13日に山形の農家の五男坊として生まれた。

下の写真は、1951年冬、中学卒業前に友人と一緒に撮ったもの(右が義父)。

坊主頭にサイズの小さくなった学生服。
この頃はどんなことを考えていたのだろう……?

f0151592_23123285.jpg




社長が山形出身だったM物産系の食料品卸・販売会社に就職、上京する。

f0151592_23135493.jpg

上の写真は、おそらくその2〜3年後。
少しトッポいアンちゃん風。
笑顔に少し茶目っ気が出てきた。

長野支社で働いていた頃、地元の山岳同好会に入る。

f0151592_23142768.jpg

雪国育ちで元々スキーの腕前はプロ級だったが、
自分で給料を稼ぐようになり、レジャーとしてのスキーや登山を愉しむようになった。
山にいるときの表情は本当に生き生きとしている。

f0151592_23151398.jpg

写真を撮るのも好きだったようで、
古いアルバムに綴った文章に、自分の撮った写真を「作品」と書いていたのが印象的。

本社に戻ると、同郷で4歳年下の「佐藤 冨久美」(=義母)が入社してきた。

f0151592_2315564.jpg

同僚たちと出かけたスキー旅行で初めて撮ったツーショット。
このときの義父は終始ものすごく嬉しそうな顔をしている。

f0151592_23171082.jpg

これは結婚直後の写真。
このとき義父は24歳、義母は20歳。

義母は21歳で長男・清吾を、翌年、次男・和行(=ZOO)を出産。

f0151592_23173286.jpg

義父は、長男が小学校に入学する前に、初めての家を横浜市・東山田に建てる。
その平屋の家の前で、絵に描いたような「パパとママとボクたち」。

男の子ふたりの年子で、子育てはさぞ大変だっただろう。
特に「カズちゃん」は、かわいい顔とは裏腹に並外れてやんちゃで癇癪持ち、
手に負えなかったそうだ。

顔にニキビの痕が残るバスの女性車掌さんを見て、
「あのおねえちゃん、マタンゴみたい」と口走った『マタンゴ事件』の他、
親の手を焼かすこと数知れず。

幼稚園就園前の幼児期に1年程山形の母方の祖母の元に預けられた他、
両親の長男びいきで「ひねくれた」と本人は述懐している。

f0151592_23181626.jpg

このときは小さなガラクタ(モーターか何かの部品)を拾って嬉しかったのだという。
何か食べるといつも口の回りはこの通り。

f0151592_2321848.jpg

最初に飼った雑種犬「コロ」と、家の前の原っぱで。

f0151592_23212382.jpg

'70年代初め、香港の食品業界の招待で初めての海外旅行。

義父は163cmと小柄ながら均整のとれた体つき、
スーツも自分であつらえたものを着て、オシャレで颯爽としている。

義母によると、この頃、
「子育ては私に任せっぱなしで、自分ばっかりいろんなところに行って」と、
夫婦喧嘩が絶えなかったとか。

40代で社長に抜擢され、仕事一筋になってからは、
義父の写っている写真がほとんど見当たらなくなる。

ZOOが中学1年のとき、渋谷家は横浜市・青葉台に大きな家を構えた。
けれど、ZOOによれば、家族としての思い出があまり残っていないという。

小津安二郎監督の『彼岸花』という映画の終盤、
長女の有馬稲子が嫁ぐ前の最後の家族旅行で、母親の田中絹代が、
「今から思うと、戦争中、家族で防空壕に入っているときが一番幸せだった。みんな一緒で」
と語るシーンがある
(これに対し、父親の佐分利 信は、
「俺はあの時代は嫌だったね。つまらん奴がいばって」と反論する)。

ZOOの一家の写真を見ていると、家族がみんな一緒で幸せな時間は、
ほんの数年しかないのだということを痛感させられる。

*********************************************


義父の好きだったエンニオ・モリコーネの曲をバックにZOOが編集した
『A MAN'S LIFE』というビデオ、YoutubeにUPしていたのですが、
本人が削除してしまいました……。

ZOOのこれまでの仕事のダイジェストはこちら

by penelope33 | 2011-07-26 23:28 | つれづれ | Comments(12)
Commented by れいれい at 2011-07-27 10:27 x
なんだか鼻の奥がツンとしました。
お義父様はきっと幸せだったと思います。

編集したビデオも見たいです。

Commented by penelope33 at 2011-07-27 16:13
れいれいさん、コメントをありがとうございます。
ビデオをUPしたら、この記事を更新しておきますね。

他にも御興味のある方はいらっしゃるのかなぁ……?(笑)
Commented by 夢屋 at 2011-07-27 17:28 x
「人に歴史有り」とはよく言ったもんだ。本当にそう思う。ところで一枚目の
旦那のとなりで着物を羽織った少年はなんだか「ビーダマ」ににている。
不思議だ。
Commented by penelope33 at 2011-07-27 20:28
同様の感想ですが、
私は「男の顔は履歴書」という言葉が浮かびました。

“ビーダマ氏” ですか〜(笑)。
これほど目はタレていないんじゃないかと……。 ^^;
Commented by 南会津とんぼ at 2011-07-27 21:14 x
日本の良き時代、ですね。それにしても、みなさん、いいお顔してます。

貧しいことが良い、とは言いませんが、今の物に溢れた時代より、人と人との繋がりが近かった、のかなあ!?

ありがとうございます、こんなステキなお写真。
Commented by penelope33 at 2011-07-28 00:27
とんぼさん、おひさしぶりです。
こちらこそ、コメントをいただき、ありがとうございます。

今の自分たちより若かった親たちの写真を見ると、感謝の気持ちとともに、
自然と「自分も頑張らなくちゃなぁ……」という気持ちになりますね……。
Commented by まき at 2011-07-28 09:46 x
うちの祖父も会社を興したり強盗に入られたりといろいろ歴史ある人でした。
そういえば、写真は見たことがありません。
ビデオ楽しみにしています!
Commented by penelope33 at 2011-07-28 11:21
まきさんのお祖父様の人生は波瀾万丈のようですね〜。

ビデオ、データが重くて再生しにくいかもしれませんが、
一応UPしました。

12年前、初めて次男のヨメが両親の家(東京都・町田市)を
訪ねたときの動画も入っています……。 ^^;
Commented by doraneko at 2011-07-29 02:36 x
 初めまして。いつも拝見していましたが、コメントするのは初めてと思います。youtubeを拝見し、思わず・・・。
人生の何たるかも知らない30代半ばの若輩ですが、感じ入りました。何より、ご家族様がこうした美しい作品にまとめられたことが、何よりのご供養かと存じます。遠方より、ご冥福をお祈りします。 そして、penelope33様、ご夫君様の今後のご活躍をお祈りしています。
Commented by penelope33 at 2011-07-29 12:57
doranekoさん、初めまして。
御丁寧にコメントをいただき、ありがとうございました。

夫は自分の子ども時代の写真や家族のアルバムを
ほとんど見たことがなかったのですが、義父の死をきっかけに
義母に尋ねたところ、段ボール箱1箱分の古いアルバムが出てきまして。

膨大な量の写真をスキャナーで取り込み、結婚前に自分で撮った
8mmビデオ素材、義父の最後の入院生活を義兄が撮ったデジタル
カメラ素材と合わせて編集しました。

自分の知らなかった父親の青年期、忘れていた家族の歴史と
初めてちゃんと向かい合い、さまざまな感慨を持ったと言っています。

義父とまだ会話ができたとき、昔のアルバムを見ながらいろいろ
話ができたらよかったのですが、まあしかたがないですね。

義父もどこかで喜んでいることと思います。
Commented by patronistaT at 2011-07-31 22:28
ひさしぶりにコメントします。
いい写真ですね。
私は父を若くして亡くしたのでこういう写真に弱いです...。
次回の帰国のときに父の写真をスキャンして保存しようと思います。
しらない誰かの思い出でも、夢と希望と未来が見えてきて
なんだかグッときてしまいます。
Commented by penelope33 at 2011-08-01 22:16
patronistaTさん、おひさしぶりです。
コメントをいただき、ありがとうございます。

「夢と希望と未来」……ホントにそうですね。
高度成長期と現代では状況が違うとはいえ、
親たちの世代の「夢と希望と未来」を、私たちが今持ちえているか……。
一連の写真から、そんなことを考えさせられます。


<< 菊文の印判小皿      7月の終わりに >>