青蓮亭日記

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2014年 12月 19日

紆余曲折の末

先週の土曜日、中学時代の友人から声をかけられて、
川越の居酒屋で開かれた20名程の同窓生の飲み会に顔を出した。

小学・中学と一緒だったA子ちゃんから、
「小中学生の頃から、萩尾望都とかビートルズとか井上陽水とか、私たちと全然違ってたよね〜。
将来どんな仕事をする人になるんだろうと思ってた」と言われた。

こちらに書いたように、大学卒業後の職歴を、

音楽・映像関係の小さなグループ会社で、デザイン・印刷の制作管理、映像制作のアシスタント
 →ロシア・ソビエト映画専門のミニシアターのアルバイト
 →映像作家(故人)の事務所のアシスタント
 →戦前から続く記録映画製作会社のアーカイヴ担当

……と、ひととおり説明し、「で、今は古道具や骨董品を売ってる」と言っても、
みなピンと来ないようだった。

国語担当のM先生からも、私の職歴が腑に落ちないと言われた。

そんなわけで、10代の自分自身が何を考え、感じて生きていたかということや、
小中学生の頃に居心地の悪さを感じていた優等生的なパブリック・イメージとのギャップを、
改めて思い出した。

下の画像は借り物。

高校生の頃、冬の帰り道、
神社の大木の梢が細くのびて夕空に消えていくあたりをいつも眺め、
「この感じはどんな風に表現したらいいんだろう?」と、いつも思っていた。

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下の画像は、
ドイツ・ロマン派の画家カスパー・ダヴィッド・フリードリッヒの『雪の中の巨人塚』(1807)。

中学生のとき、国立近代美術館で開催された『フリードリッヒとその周辺』展に行き、
買って帰った複製画を机の前の壁に貼っていたことがある。

フリードリッヒを知ったのは、
雑誌『POPEYE』のコラムで「デヴィッド・ボウイが画集を何冊も持っているほど好き」と
紹介されていたのを読んだのがきっかけ。

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中学・高校時代の自分の関心の中心は、
ロック(音楽そのもの+Rockin' Onの創刊メンバーのひとりだった岩谷 宏のテクスト)と
少女漫画(萩尾望都や大島弓子)とアート(絵画やデザイン)。
まさに「サブカル(=サブカルチャー)少女」だった。

このあたりのことは、「池袋西武に教えてもらったこと」という記事にも書いている。

岩谷さんの影響で、石川 淳の小説をひもといたりすることもあったけれど、
小説よりも、むしろ評論やエッセイ、短文詩などに共感を覚えることが多かったような気がする。

確か中学の国語の教科書に載っていた、
加藤楸邨の「鮟鱇の骨まで凍ててぶちきらる」とか、
金子兜太の「銀行員等朝より蛍光す烏賊のごとく」といった俳句は、すごく好きで、
「こういう感覚をこんな言葉で表現できるんだ。なんてカッコイイんだろう……」と思っていた。

後年、仕事で知り合った方に誘われ、自分なりに作句を試みたり、
講談社文庫の『現代の俳句』をテキストにした勉強会に参加したりしたのは、
こういう原体験があったから(→参考記事『Morrisseyになりたかった俳人 青木重治』。

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 上の画像は、ピエト・モンドリアンの『灰色の樹』(1912)。
 モンドリアンが、抽象絵画への道を模索していた頃のひとつのステップとされている。


大学受験のときは、心身ともにダメだった頃の自分(中1の一時期)のように、
社会に適応できない人たち(特に子どもたち)のためのカウンセラーになるべく心理学を学ぶか、
音楽とグラフィックデザインへの興味を生かすべく、美大のデザイン科に進むか、迷った末、美大を受験した。

しかし美大に入ってみると、自分の造形能力の低さを自覚するようになり、落ち込むことが多かった
(むしろレポートのほうが妙に評価されたり)。
そんなわけで、「自分はゼロから何かを生み出すのは不向きで、
何かを吸収して再構成するほうが向いている」と思うようになった。

思い起こせば、小学校の卒業文集の「将来なりたい職業」に「(漫画の)編集者」と書いたのだった。
「漫画家になるのはムリだから、編集者になりたい」と、当時から身の程をわかっていたというか……
(もちろん漫画の編集者になるには出版社に入社しなければならず、それはそれで難関)。


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モンドリアン『コンポジション I (木)』(1912)


大学生のときに蓮實重彦の映画評論を知り、
一般的なジャンルやストーリーにとらわれず、あらゆる映画を観る術を知る。

この頃から、映像や映像製作に深く関心を持つようになった。

同時に、ナム・ジュン・パイクのビデオ・アートやローリー・アンダーソンの「パフォーマンス」、
ゴドレイ&クレームなどの初期の海外ミュージックビデオにも触れ、
映像製作会社を持つレコード会社に就職したり、
SONYから発売された8mmビデオカメラ(17万もした。当然分割払い)を購入し、
自分で撮った映像を自分で “編集” したりといった経験につながっていく。

一方、M美短大の課外講座で、
街で会った人に声をかけて写真を撮る「面接ポートレート」という課題に取り組み、
これは講師の評価も高くて、「人の写真を撮るのっておもしろいな」と興味を持った
(次に撮った捨て猫の写真は、こっぴどくこき下ろされたが)。

ただ、当時はフィルム・印画紙・薬剤などにお金がかかったし、
人を撮り続ける気力も続かず、かといって何を撮ったらいいかもわからず、
自分で撮ったものもおもしろくなくて、結局写真はやめてしまった。


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モンドリアン『灰色とライト・ブラウンのコンポジション』(1918)



仕事は少しづつスライドしていき、
生前の母から「心理学を勉強したいって言ってたのに……」と、
暗に「自分に合っていない世界にいるんじゃないの?」と言われたこともあった。

労働争議後に残った社員として働くことに強いストレスを感じ、
2004年6月、どこの店で修行したわけでもないのに、
麻布1枚広げて「大江戸骨董市」に出店(そして8月に退職)。

当時はまだそんなド素人はあまり出店していなかったので、
「趣味?いいね、旦那さんに食べさせてもらって」などと言われることが多かったが、
自分としては「この仕事をやらなかったら、もう掃除婦しかない」と思っていたのだ。
人に何と思われようと気にしないで、
とにかく金銭的に無理をせず、細く長く続けることだけを考えていた。

ZOOも最初は私のやっていることに批判的だったけれど、
今では出店時など「いっぱい稼いできてね」などと言うようになった。


そして、今、自分が「これがいいんだ!」と思うモノを仕入れして写真を撮ったり、
折々で感じたり考えたりしたことを文章にしている。
接客はカウンセリングと似ているし、
何より自分が好きな品をお客様に喜んでいただくのが単純にうれしく、
あまり効率がよいとはいえないこの仕事を続けていく上での心の支えになっている。

10代の頃、古い木箱をペンキで黒く塗って小さなモノを並べたり、
父〜姉のお古の木製机の脚をノコギリで切り、白ペンキを塗って自分用にカスタマイズしたり、
お年玉を貯めたお金で子ども用のロッキングチェアを買ったり、
そんな小さなことから始まった自分という人間の嗜好や特性全てが、
今の仕事につながっているんだなぁと、改めて感じている。



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by penelope33 | 2014-12-19 23:28 | つれづれ | Comments(11)
Commented at 2014-12-20 00:23 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented at 2014-12-20 00:38 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by penelope33 at 2014-12-20 18:43
> N子さん

N子さんは、私なんかよりも絵を描くことに打ち込んでいらしたのですよね。

私と同じように、あるいはそれ以上にいろいろと逡巡され、
今に至っているのですよね……。

よいカウンセラーというのは、相談者の話すことによく耳を傾け、
最終的に相談者自身が答えを出すのを導くのだというようなことを、
どこかで読んだことがあります。

普段のお客様とのやりとりも、

「どんな感じがお好きなんですか?」
「それは例えばこんな感じですか?」
「これはこんなところがよくて、こちらはこんなときにも使えて便利ですよね」
「おウチにあって使って楽しいと思えるものがいいんじゃないですかね〜」

……みたいな感じですから、もうN子さんにも一種のカウンセリングをしてるかも(笑)。
Commented by penelope33 at 2014-12-20 19:11
> Sさん

私の学生時代は、パイクと(ヨゼフ・)ボイスが来日して
「パフォーマンス」という言葉が一般的になった頃と重なります。

西武美術館の会員になって季刊の『アール・ヴィヴァン』を読んでいたので、
フルクサス特集号で彼等の原点についても齧っていました。

パイクの作品は視覚的なインパクトも大きかったですけど、
諧謔性があるところがよかった。

邱 世原さん(故人)というビデオ・アーティストの事務所で
私のボスのひとりだった方が、
「シャーロット・モーマンを癌にした罪は大きいよね〜」と言っていたことが
重く心に残っていますが……。

萩尾望都との出会いは、古本屋で手に取った
『別冊少女コミック』に掲載されていた『11月のギムナジウム』でしたかね〜。

ハマリましたよ〜。
小さなガラスびんに「赤玉ポートワイン」(と、確かバラの花びら)を入れたりして(笑)!

イギリス白磁のカップ&ソーサー、残念でしたね……。

御精算や時計の御相談もありますので、年末か年始、
お時間のあるときにまたおうかがいできればと思っております。
Commented at 2014-12-20 19:38 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by penelope33 at 2014-12-20 20:32
> N子さん

ポット、お気に召していただいて何よりです。 ^^

身の周りに自分で選んだ本当に好きなものだけを置くと、
日々の暮らしが豊かなものになるような気がします。

「自己満足」っていう言葉は否定的に使われることが多いですけど、
自分自身が満足することって大事ですよね。
「自足」に通じると思います。
Commented at 2014-12-21 01:23 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented at 2014-12-21 01:27 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by penelope33 at 2014-12-21 15:39
> Sさん

おお、池袋に入り浸ってたなんて、そんな時期があったのですね。

高くて買えない画集や写真集を立ち読みしたり、
環境音楽や現代音楽のレコードを試聴させてもらったり、
Studio200でジョナス・メカスの映画や『ピロスマニ』を観たり、
お金がないなりにいろいろ遊べて楽しかったです。

『セゾン美術館』に変わったときには、もう社会人になっていました。

ゴメス、最後はWEBマガジンになっていたみたいですね。

セゾン系のミニシアターでアルバイトしていたとき、
渋谷にあった英語学校にも通っていたのですが、
受付に「アップリンクで働いていた」という女の子がいまして、
「ハードでやめた」というようなことを言っていましたっけ……。

実は新卒のとき、ペヨトル工房に履歴書を送ったんですよ(笑)。
全然音沙汰がなくて落ちたのかと思い、
唯一受かったキティレコードに入社したんですが、
5月か6月頃に家にペヨトルから電話がかかってきて「来る気はないか?」と
(入った新人がやめちゃったのかも)。
せっかく入れてくれた会社に迷惑をかけたくなかったので、
断りましたけどね……。

あそこに入っていたら、鍛えられてデザイナーになっていたのかなぁとも思いますが、
きっとカラダが保たなかったんじゃないかという気がします。


私もそのうち器のお直しをお願いしたいです!
Commented at 2014-12-21 20:25 x
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Commented by penelope33 at 2014-12-22 01:13
> Sさん

いろいろやってみないと「自分にはこれしかない」なんてなかなか思えるもんじゃないし、
まして人様に「この道しかなんてない」なんて言うなんて全然信じられない。

おっしゃること、よくわかります。

個人商店の店主も大企業の社長も、動かすお金や社員の数が違いこそすれ、
似たようなマネージメント能力を使うはずだし、
例えば漆器職人とプロ野球選手でも、一流と言われる人には同様の哲学があるかもしれないですよね。

年賀状を書き終えさえすれば、
それぞれの実家に顔を出すくらいの予定しかないので、
また御連絡させていただきますね。 ^^


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