青蓮亭日記

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2015年 05月 05日

高取焼春慶釉片口

私物の会津本郷焼の飴釉片口にお問い合わせをいただいていたので、
その方に「代わりにどうかな〜」と思い、買ってみた。

お譲りくださった方から、
「高取系では?(幕末〜明治より)もうちょっと古いと思います」とうかがった。

実は、高取焼の品を扱うのは初めてなので、自分でもネットや資料本を見て調べてみた。

調べていくうちに、ただの飴釉というには黄釉が効いているので、
高取焼の多彩な釉薬のひとつである「春慶釉」ではないかと思うに至った。
それとも真黒釉(=並黒《飴釉》)かなぁ……
(後述のように、高取焼に影響を受けた小石原焼という可能性もある)。

詳しくおわかりの方は御指南いただければ幸いです。

(江戸後期頃?/口径:約13.1〜13.8cm・高さ:約8cm/御売約)

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以下はWikipediaより。

  朝鮮出兵の際に黒田長政が陶工・八山(日本名・八蔵重貞)を連れ帰り、
  福岡県直方市にある高取山の麓で開窯(1600年と伝えられる)。

  この頃の窯場には、永満寺・宅間窯、内ヶ磯(うちがそ)窯、山田窯があり、これらを「古高取」と呼ぶ。

  江戸時代には黒田藩の御用窯として繁栄。
  元和年間には唐津から陶工を招き、技術を向上させている。

  寛永年間に入ると、2代藩主黒田忠之は小堀政一(遠州)と交流を深め、遠州好みの茶器を多く焼かせた。
  そうしたことから「遠州七窯」の一つに数えられ、茶陶産地として名を高めることとなった。

  この頃の中心は白旗山窯で、遠州好みの瀟洒な茶器は「遠州高取」と呼ばれた。

  その後、八山の孫の八郎が高取焼第5窯として小石原で小石原焼きを始め(小石原高取)、
  より繊細な作品が多く焼かれた。

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この片口が江戸後期のものだとすれば、当然「小石原高取」以降のものだと思われる。


  「小石原高取」以後は、福岡の大鋸谷に移転(御庭高取)、
  18世紀には「東皿山」と「西皿山」に分けられ、細分化されていった。
  今日でも数カ所の窯元が残っており、廃窯後に再興された窯元もある。

  高取焼は時代によって、全く毛色が違っている。

  高取焼草創期の「古高取」の中でも、特に「内ケ磯窯」は豪放かつ大胆な織部好みの意匠で、
  ロクロによって成形された真円にヘラで歪みを加えており、
  今日の視点から見れば芸術性豊かで興趣をそそる志向があるが、
  その奥に隠された思想により、御用窯廃絶の憂き目に会う。

  後の「遠州高取」になると器は端正になり、
  古高取とは対照的に瀟洒、風流人好みの作品が焼かれるようになった。

  「小石原高取」の頃になると技術は爛熟し、「遠州高取」より更に繊細な作風となっている。

  なお、小石原高取は民窯の小石原焼に影響を与えている
  (「高取系小石原焼」などという表記も見かける)。

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  今日の作風は小石原高取以後の技法で、使用する釉薬は多い。
  個性的な釉薬が多く、高取黄釉、春慶釉、高宮釉、道化釉、ふらし釉、
  その他に特有の真黒釉(=並黒《飴釉》)などがある。

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手に取るとこんなサイズ。
小深い形だけれど、さほど重くはない。

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少し歪んでいる。

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見込みの窯傷を漆で埋めてある。
水漏れは全くなし。

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注ぎ口にノミホツがある。

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あまり気にはならないかと。

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高台。亀裂に漆が見える。

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適当な花がないので、常緑ヤマボウシの若葉をあしらってみた。

一見ジミだけれども、撮影していて惚れ直した。
濡れたような釉調が素晴らしい。



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by penelope33 | 2015-05-05 21:58 | 古いもの・古びたもの | Comments(0)


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