青蓮亭日記

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2007年 12月 10日

平戸焼 “卵殻手” 白磁向付

「卵殻手(らんかくで)」とは、1837(天保8)年に
平戸焼(三川内焼《みかわちやき》)の名工・池田安次郎が
初めて製作したと伝えられる極薄手白磁のこと。
輝くような白さを持ち、その名の通り卵の殻のように薄く、
その技術は現代においても驚異としかいいようのない素晴らしさ。

この向付をお譲りくださった方によると、
「天保八年 池田安次郎作」と記載された共箱があったそうだが、
残念ながら今は失われている。
しかし作行きから同年代のものであることはまちがいない。

画像はいまひとつビシッと撮れていない……。

(口径:9.6〜9.85cm・高さ:約5.5cm/御売約)

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平戸焼とは、長崎県佐世保市三川内町産の磁器で、
平戸藩主松浦家の御用窯であったことからこの名がある
地元では「三川内焼(みかわちやき)」という名称が一般的なようだ。

1594(慶長3)年に、
平戸藩主・松浦鎮信(しげのぶ)が朝鮮から陶工を連れ帰り領内に開窯。
1633(寛永10/一説では1634《寛永11》)年に、白磁鉱(網代石)が発見される。
1637(寛永14)年に、陶工・今村三之丞が大村領井石郷中尾川内で良質の陶土を発見。
1638(寛永15)年、
今村三之丞が藩主より「皿山棟染代官」の職を受け、磁器製作が始まる。
1662(寛文2/一説では1712《正徳2》)年に天草石が発見され、製磁技術がさらに発達。
公儀への献上品や諸候への贈答品として用いられた。

朝鮮から日本に渡ってきた父の白いやきものにかける夢を受け継いだ、
今村三之丞の執念ともいえる取り組みが、平戸焼白磁の完成を導いたという。

また、1830(天保1)年には、コーヒー碗(薄手兜形茶碗)の輸出が始まり、
その品質は海外でも高い評価を得て、“eggshell”と称された
(“eggshell”も“卵の殻”という意味であるため、
「卵殻手」と同義としている文章も見かけるが、
「卵殻手」のほうがはるかに薄手であり別物)。

デンマークのある東洋陶磁研究家は、著書の中で平戸焼を評し、
「1750年から1830年の間の日本磁器の中では白色に光り輝く最高の製品で
鍋島や有田の製品はそれには遠くおよばない」と書き記している。

古唐津窯との関連なども興味深い平戸焼=三川内焼の歴史の詳細は、
このページを御参照ください。

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上の画像のように、裏から当てたマグライトの光が透けて見える。
乳白ガラスの電笠のようだが、普通の電笠などよりずっと薄い。
手に取ってみても、頼りないほど軽い。
この向付、さすがにコワくて使えない……。

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昼寝をジャマされ外に出たがっているヤマコがウロウロしている……。
でもこのカット、一番質感が出てるなぁ。
猫の額との比較でサイズがおわかり……いただけませんね。



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by penelope33 | 2007-12-10 20:18 | 古いもの・古びたもの | Comments(0)
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