青蓮亭日記

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2008年 03月 10日

極北のふたご星〜『1×1=2 二人の仕事』(澄 敬一×松澤紀美子 著)

澄(すみ) 敬一さんがかつて手がけた店
『push me pull you(プッシュ・ミー・プル・ユー)』は、
『東京骨董スタイル』というムック(’03年刊)で知った。

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白い壁と天井、無垢材を並べた床、
デザイナーズチェア、北欧の作家のセラミック作品、
アンディ・ウォーホルの作品でお馴染みの
洗剤つきスポンジ「Brillo」の紙箱といったものと、
多摩川河口で拾ったという風化したスプーンや板きれ、
そういった廃材でつくった家具、“再構築” されたアメリカ製のソファ、
ミシンの部品でつくった極めて繊細な「本立て」といったものたちとの
組み合わせに興味を持ち、
映画『ブレードランナー』やSF作家ウィリアム・ギブスンの言葉を例に挙げた、
「現代人は失いそうになったアイデンティティを古いものの中に求める」
というお話に共感を持った。

松澤紀美子さんが以前手がけたカフェ・古道具店『petit cul(プティ・キュ)』は、
前述の本だけでなく、折からの “カフェ・ブーム” とか、
麻布十番の『さる山』『タミゼ』といったいわゆる “骨董ニューウェイヴ” の流れで
紹介されているのをよく目にした。

松澤さん自身が友人とともに、自らの住まいである小さな古いアパートを
“チーズケーキのような色合いで” 改装したという店内の写真が印象深かった。
小さな厨房に取りつけた小さな棚に気持ちよく並べられた白い器やガラスのビン、
焦茶色のテーブルやガラスのショーケースに飾られた古道具たち。
さぞ心地よい空間だったことだろう。

意を決して麻布十番に出向いたとき、既に『petit cul(プティ・キュ)』はなかった。
後日、『さる山』店主の猿山さんから、六本木ヒルズができた頃の
麻布十番界隈のラッシュとその余波の疲弊感についてうかがう機会があり、
若い女性ひとりで店を切り盛りして、身を擦り減らしてしまったのだろうと思った。

メディアで紹介された店にすぐかけつけるといった行為にためらいを感じているうち、
澄さんと松澤さんの原点となったふたつの店には結局行かずじまいになってしまった。

やがて思うところあって私自身が古道具屋の真似事をするようになり、
とある市で先輩業者さん(お店はここに)から澄さんを紹介された。

その日、澄さんを慕う(?)別の業者さんの御自宅にお邪魔することになった。
その方と澄さんと私の3人で歩く道すがら、
初対面ながら私のほうがメディアを通じていろいろな情報を知っていたために、
インタヴュアーのようにあれこれとお話をうかがったのだが、
私が澄さんに抱いた第一印象は、「怒れる人」というものだった。
特にエピゴーネン(=追随者、模倣者)を軽蔑し、
徹底してオリジナリティを追求しようとする厳しさを感じた。

私自身、以前の仕事を辞めるまでにはいくつかの店に立ち寄り、模索し、逡巡したけれど、
露店商という立場ながら、自分自身が古いものを扱う仕事を始めてからは、
仕入れ目的以外で同業者の店に行くことは控えていた。
好ましい店を見たら感化され模倣してしまいそうな気がしたからだ。

だからその後も、澄さんと松澤さんの新しい仕事の場を見ることはなかった。

そして、この『1×1=2 二人の仕事』という本で初めておふたりの仕事と暮らしぶりを知った。

まず何よりも、このような強烈な個性を持つふたりが出会ったことがスゴイと思った。
他人の私がこんなことをいうのも妙な話なのだが、なんという “天の配剤” かと。
そしてその出会いをもたらした東京という都市に住まうことが、
おふたりの生活と制作活動に大きく関わっているように思えた。

以下、この本から感じ取り、読み取れたことを思いつくまま挙げてみる。

 余計なものはいらない。

 削ぎ落とす。剥がす。消す。原形に戻す。

 「白」「無垢材」「アルミニウム」「透明ガラス」といった、色や素材の厳格な選択。

 吟味した食材を最大限に生かしたシンプルで丁寧な料理。

 色は「現れ消える」ものであるといった認識(=料理と白無地の器との関係性)。

 手をかけ始末を施された洗いざらしの布が自ずと放つ美しさ
 (松澤さんについては「食」に関する仕事しか知らなかったから、
 初めて見る「布」を扱った仕事に目をみはった)。

 凡百のJUNKオブジェとかリサイクル品といった概念の遥か彼方で詩情をたたえた、
 澄さんの数々の “工作物”……。

大沼ショージさんの、ものを暖かく捉え、
清浄な空気まで写し取ったような写真がとてもいい。

ふと「ストイック(禁欲的)」という言葉を使いそうになるけれども、
その言葉は適切ではないように感じる。
むしろ “声高でないラディカルさ” とでもいおうか。

グラフィックデザイナーの山口信博さんによる、
おふたりの創りあげた世界への深い理解と愛情を感じさせる論考が興味深い。
しかし、同時にこの論考が、どうやらこの本への安易な感情移入を妨げているようだ。
澄さんによると、この本に関して、手応えのある反響が聞こえてこないというのである。

確かにこの本の内容は、“アート” というくくりもしにくいし、
“古いものを慈しむ暮らし” “手づくり礼賛” “スローライフ” といったブームとも、
一線を画すものだ。

一番近いと感じるのは、シェーカー教徒たちの端正で美しい暮らしかただが、
彼と彼女には神への信仰の代わりに、これまで培った自身の哲学と、
諸々の “ブーム” に安易に乗ることへの強烈なアンチテーゼがある。

「よくわからない」といった評価は、独善ではなく、真の独創性を示すもので、
むしろ誇りに思ったほうがいいのではないかという気がする。
私のこんな拙いエールの背後には、
おふたりの仕事と暮らしぶり、そして山口さんのプレゼンテーションに
感嘆し、共鳴している人たちがきっとたくさんいるはず。

実際には、それぞれが異なった役割を担い、
ときに反撥もしながら生活をされているのだろうが、
この本を読んだ印象では、ふたりのベクトルの方向と強度は全く同じように思えた。
この拙文のタイトルの所以である。

by penelope33 | 2008-03-10 02:31 | 観る・聴く・読む | Comments(3)
Commented at 2008-03-10 14:07 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by penelope33 at 2008-03-23 12:35
D.C.、私も非常に思い入れのあるアーティストです。
このブログ右下の「ライフログ」の一番最後に彼等の1stアルバムのCDを載せております。
Commented at 2008-03-23 21:52 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。


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