2008年 09月 19日

淡路焼黄釉龍彫小判皿(珉平皿)

淡路焼は淡路島のやきもの。珉平焼、伊賀野焼ともいう。
文政年間(1818-1830)に加集(賀集)珉平(かしゅう《かしお》みんぺい)が創始した。

加集(賀集)家は淡路稲田村で代々醤油醸造業を営んでいた。
民平は海産業にも手を伸ばしたもののあまり振るわず、偶然始めた製陶に従事。
伊賀野焼と称し楽焼(京都の楽家代々の作風と同様の手捏ねの軟陶)などを焼いていた。

文政12年(1829)には本業を廃して淡路焼を始め、苦心の末さまざまな釉薬を発明した。
天保5年(1834)には
京都から尾形周平(1788-1839/名工・道八仁阿弥の息子)を招き陶法を研究するなど、
その生涯を淡路焼の発展に尽くした。
天保13年(1842)には藩主蜂須賀候が伊賀野村に藩の御用窯の監修を命じる。

淡路焼は土質が柔らかく色鮮やかなのが特徴で、
京焼の一種である粟田焼に似ていると言われる。

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画像は、細密な土型により龍文が刻印されている小判形の小皿。
明治頃のもので「珉平皿」とも呼ばれる。
鮮やかな黄色の他、緑、青などがある。

(縦:約7.3cm・横:約9.8cm/御売約)

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淡路焼では、何の模様もないシンプルな緑色の筒向付を扱ったことがあった。
下の画像の「湯呑み三兄弟」の真ん中(長男?/売約済)。

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ちなみに左は古いフランスのヨーグルトの容器(売約済)、
右は1950〜60年代のデンマーク・PALSHUS窯の花器(売約済)。

by penelope33 | 2008-09-19 22:47 | 古いもの・古びたもの | Comments(7)
Commented by matico at 2008-09-20 00:52 x
お~龍文素敵♪と心ときめかせたら…いきなり失恋…。淡い恋だったわ~(^ー^;
Commented by penelope33 at 2008-09-20 01:07
maticoさん、すみませーん。
普段はこういう模様の入ったものってあまり扱わないのですけど、
民平皿って古伊万里よりお手頃で、
カラフルな色とシンプルな形がおもしろいかなと思いまして。

また手に入ったらお声をおかけしますね。
Commented by garoubleu at 2008-09-20 02:04 x
兎ゥ~ン。
青龍が欲しいなぁ~♪
湯のみ長男坊すごく素適ですよ!
色モノ柄モノもこうやって拝見すると色が綺麗なので
素適ですね!赤・青・黄・緑この色なら綺麗でしょうね^^
Commented by penelope33 at 2008-09-20 02:43
やっぱり「bleu」ですね♪
長男は端正で鮮やかな逸品でした(ちょっと傷つきやすいのが難でしたが……)。
Commented at 2008-09-20 20:57 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented at 2015-09-25 14:58 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by penelope33 at 2015-09-25 22:30
> 鍵コメント at 2015-09-25 14:58 様

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