青蓮亭日記

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2010年 02月 03日

『小村雪岱画譜』(1956年/龍星閣 刊)

『芸術新潮』の最新号の特集で取り上げられている
小村雪岱(こむらせったい/1887-1940)という挿絵画家・装幀家・舞台演出家のことを
御存知の方はどのくらいいらっしゃるだろうか?

生まれてから23年過ごした川越は俗な観光地と化し、
すぐ帰れることもあってあまり望郷の念もおこらないが、
この大正から昭和の時代を駆け抜けた才人と同郷というと、
有名になった遠縁の者を自慢する “田舎者”
(地方出身者ということではなく心持ちが)みたいな心境になる。

雪岱の生まれた「郭町」という艶っぽい町名は今でも残っている。
私が通っていた「川越第一小学校」は「郭町1丁目」にある
このあたり。後ろに見えるのが雪岱の母校である「川越小学校」)。

今日御紹介するのは、昭和31年初版の『小村雪岱画譜』(龍星閣 刊)

邦枝完二 作『おせん』『お伝地獄』、子母澤 寛 作『突っかけ侍』、
村松梢風 作『浪人倶樂部』といった小説の挿絵が収められている
(邦枝完二の長女 梢さんはエッセイスト、次女はテーブルコーディネーターのクニエダヤスエさん。
また、村松梢風は作家 村松友視さんの祖父にあたる)。


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    (画像上:邦枝完二 作『おせん』挿絵/昭和8《1933》年「朝日新聞」所載)


(御売約)




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初めて小村雪岱の名を聞いたのは、20代も半ばを過ぎた頃。
確か実家での兄と母との会話からだったと思う。

昨春の母の通夜で、不仲の姉に向かって
「俺はあの人(=母)の精神性を継いでるから」とのたまった兄。
まあそう言いたくなる気持ちもわからないではない
(私自身は母と雪岱の話をしたことがない)。

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    (画像上と下2点:邦枝完二 作『おせん』挿絵/昭和8《1933》年「朝日新聞」所載)

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ともあれ江戸の絵師の血と近代的なデザイナーの感覚を併せ持つこの画家の名は、
私の頭に刻み込まれ、折々に古書店などで画集も目にしたが、
手の届かない価格ではないものの、
薄給の身では躊躇してしまう金額であることが多かった。

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    (画像上と下:邦枝完二 作『お伝地獄』挿絵/昭和10《1935》年「読売新聞」所載)

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    (画像上と下3点:村松梢風 作『浪人倶樂部』挿絵/昭和11《1936》年「読売新聞」所載)

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中でも、私が骨董市に出店し始める少し前、
神保町の金子國義さんのサロン 兼 旧蔵の古書の店である『美術倶楽部 ひぐらし』で見かけた画集は、
題名は失念してしまったが、ことのほか美しく、また稀少であろうと思われるものだった。

その店にいた青年と話をするうちに、彼が川越出身と聞き、
私も同郷で、古物商の免許を取ったばかり、骨董に興味があると話すと、
「いつかはお店を持つんですか?どうです、この辺?意外に家賃が安いですよ」と言われ、
「いやいや、とてもとても……」などと話したのを覚えている。

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「2月3日はお母さんの誕生日なんだよ」とZOOに言うと、
「死んだ人間には(もう)誕生日なんて(関係)ないよ」と言われた。
まあ、それはそうなんだけどね……。

でも、実家に住んでいた頃の私にとって、母は一番身近な気の合う人だったから、
81歳でしわくちゃのおばあちゃんになって死んでいったけれど、
この先も毎年2月3日には、昭和のはじめ(1928年)に川越に生まれたちっちゃな女の子のことを、
思い浮かべるんじゃないかと思う。

母が最後に入院していた川越市街の病院の真正面に、
舟運亭むかし館』という商店を兼ねた民族資料館がある。
店の御主人が蒐集された雪岱の下絵などが展示されているようなのだが、
いつも母の面会に行くときは気持ちに余裕がなかったので、まだ立ち寄ったことがない。

いつかふらりと訪ねてみようと思っている。

by penelope33 | 2010-02-03 23:37 | ウチのもの | Comments(6)
Commented by michelle at 2010-02-04 00:13 x
3年前に義理の母がなくなった翌年、(無宗教のこのうちでは)命日には特に何もしなかったけれど、お義母さんの誕生日には家族で集まって夕食をいっしょに食べました。
Davidも毎年命日が巡ってきても何も口にださないけれど、お誕生日になると「あっ、今日はかあさんの誕生日だな」っていうよ。
2月3日のこと、私も覚えておきます。
Commented by penelope33 at 2010-02-04 00:55
michelleさん、どうもありがとう。
そうでしたか……デビさんのお母さんは3年前だったのね。

なんだか命日のほうは忘れちゃうかもしれないけど、
誕生日のほうが忘れないかなぁ。
自分の “歴史” もそのへんから始まってるという気がする。

父のほうは戸籍上1月5日なんですけど、祖父が忙しくて役所に届けるのが遅れたとかで、
一応誕生日のプレゼントはあげるのですが、
「これはウソの誕生日なんだよね……。ホントは12月の……いつなのよ〜っ?」
という感じなんですよ(笑)。
Commented by atelier manuke at 2010-02-04 01:32 x
ご無沙汰しております。

埼玉県立近代美術館の小村雪岱展、忙しくてゆけないんですけど、友人にカタログだけ見せてもらいました。泉鏡花の本の装幀があまりにも素敵でのけぞりました。ニホンでも決して著名じゃないのに、世界的に通用する仕事だなあと思います。

一度あこがれのヤマコさんにお会いしたいと思います。
Commented by penelope33 at 2010-02-04 02:31
おひさしぶりです!

なるほど、鏑木清方のお好きな atelier manukeさんなら、
雪岱にノックアウト(……死語?)されるのも納得ですね。
この人が映画美術を手がけていたら……なんて夢想してしまいます。

奔放そうで結構人見知りのヤマコですが、どうぞ会いにきてやってください。 ^^
Commented by さわだ at 2010-02-06 01:56 x
私も小村雪岱好きです。
女の人の体つきがなんとなく男性的なところがいいなと思います。
空間の空いた感じも好きです。
清方もいけなかった。会期のチェックが甘いんですけどね。
Commented by penelope33 at 2010-02-06 02:36
さわださん、おひさしぶりです。

なるほど、確かにいかにも女っぽいという感じではありませんよね。

雪岱の書いた随筆に「阿修羅王に似た女」というのがあるそうなのですが、
顔も体つきも、興福寺の阿修羅王のように、少年のような、両性具有的な、
すっとした感じですよね。

空間の使いかたも、映画的というか、
現代の漫画にも通じる斬新さがありますね。

杉浦日向子はもちろん、もしかしたら高野文子も
影響を受けているんじゃないかなという気がしました。
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