リンク先にあるように、京都在住の小児科医にして作陶家。
白洲正子さんと交流のあった現代の匠のひとりである。
普段はどちらかというと山水図などにはあまり食指が動かないのだけど、
欠けもあり、まっぷたつに割れたのを継いであるこの大鉢を、
知人に勧められるまま求め、しばらくながめて暮らしていた。
古陶磁に似せようと汲々とするのではなく、
心に浮かぶ景色の中に遊びつつ描かれたようなこの絵には、
古の陶工の闊達さとはまた別の味わいがある。
「本歌だったら博物館級」などといったことには関係なく、
このなんとも大らかな絵付けの大鉢が好きになった。
今回写真に撮ってみて、改めてそのことを実感した次第である。
(直径:約32.5cm・高さ:約7〜8cm/御売約)

以下の参考画像は、日本民藝館所蔵の『山水文大鉢 伊万里』(径47.7cm/江戸時代初期)。


〜『民藝』2007年6月号(第654号)「特集染付」より。

加藤さんは「陶片の美しさはある意味で完器以上である。
失われたものへの情感は完全なものではわからない」と語る。
現代作家の大傷ものの陶磁器にどれだけの価値があるのかわからないが、
上の加藤さんの言葉はそのままこの大鉢にも当てはまるのではないだろうか?


残念ながらまっぷたつ。


轆轤や造型も、巧いというのとはまた違うのだけど、
丁寧に誠実につくられたことがよく伝わってくる。
絵付けとともに清々しい印象。


