「そろそろ一周忌か……。
「ダブルで喪中は避けられたけど、新盆はダブルなのか……!」と。
「新盆って、何をするの?」と、とりあえず検索する。
「本人(のカケラ)」はいつもウチにいるし、
「あちらの世界で、なんでも好きなもの食べてるんじゃないの?」
落雁とかお飾りもゴミになっちゃうしね……。
まあ、例によってありもので、
「お盆」といえば、実家の隣りの祖父母の家から鬼灯をもらって、
一度だけ、穴を破かずに取り出せたことがあったのだけど、
成功したとしても、所詮「ぶぶぶ」としか鳴らせないのに
少なくとも小学生時代は毎夏懲りずに挑戦していたような気がするから、
ZOOは2年前の7月初旬に腸閉塞になり、
入院中、ZOOは自分と私とヤマコの3人の写真を、
師匠であり “ソウル・ブラザー” でもある翁長 裕さんに
撮ってもらおうと言っていた。
そのうち、「いや、自分で撮らなくちゃだめだ。」と言うようになり、
それが「(ケアマネの)Sさんに撮ってもらおう。」となり、
「がんとは人の意志を奪う病気です。」という言葉を痛感した。
水中眼鏡は本人が使っていたものではなく、
(仕入れたものの、「買う人、いる……?」と思い、
酷暑の「海なし県」の埼玉なんかにいないで、
「迎え火」「送り火」は、私が半世紀以上秘蔵している
他にも、『青春の殺人者』、『遠雷』、『(秘)色情めす市場』、
やはりこの1枚は特別だったのだろう。
古本の文学全集は、
(大江健三郎、安部公房なんかは、少しは読んだのかなぁ……?)
ただ、推理小説、怪奇・幻想小説、SFを中心とした文庫本は、
CDも本も、私のこれからの人生でなぞる気がしないものは処分し、
40代を過ぎてときどき読んでいた寺田寅彦の随筆集、
「雪は空からの手紙である」という言葉で知られる中谷宇吉郎の随筆集。
算数・数学の成績は壊滅的だったと本人から聞いたが、
科学や宇宙などへの関心はあり、
私が以前勤めていた記録映画の製作会社の前身の東宝文化映画部が、
中谷監修の短編映画『雪の結晶』などを製作したり、
その前に勤めていたプロダクションの二人のボスのうちの一人が、
『霧の彫刻』で知られる中谷芙二子さん(宇吉郎の娘)の
アラ還で、もう『野獣死すべし』はいいよね……?
オーラトーンのスピーカーを持ってにっこりしている
タバコのヤニですっかり黄色くなっている。
好きでよく食べていたりんごを1日だけ置いたけど、
山形がルーツの人なので、一応、平清水焼の鉄釉片口を線香立てにしている。
(大・中・小と三つも本棚を作った。あの頃はマメだったね……)。

本棚の中にできた隙間の分だけ、少し呼吸が楽になったような気がする。
だいぶ「自分仕様」にしたけれど、ZOOの遺品も残している。
責任を持って、お客様のご入金後すぐに発送できるかというと、少々おぼつかない。
在庫のお問い合わせにご対応するのが精一杯……というのが現状。

さて、「ダブル新盆」のもうひとかた、私の父は、
昔からわがままで癇癪持ち、食事どきに不平・不満・人の悪口を延々と言う、
この辺りは、映画『鬼畜』(’78年)のロケ場所である。
(94歳になる父の兄は、この映画に
父は、晩年はかなり “毒っぽく” なり、隣家で介護した姉は大変な苦労をした。
ただ、昔はとても子煩悩な人だった。
私は三人きょうだいの末っ子なので、
手頃なペンタックスのカメラで父が撮った写真は、
見返すといつも「自分の原点」が確認できる。
父は父なりのやり方で子どもたちを愛し、家庭を守っていたのだと、感謝している。

一家揃ってセルフタイマーで撮った写真から切り取っていただいた。
(リコーフレックスか何かで撮ったのだっけ……?)
小宮家がいつもお世話になっている葬儀屋さんから
「プロが撮った写真」とお褒めいただいた(よかったね)。
父の希望で、母と同じ川越市の市民葬祭場で告別式をした。
姉は最初は「子どもたちだけで」と言っていたが、
姉と兄は顔を合わせてもロクに口もきかない間柄だから、
「そんな告別式、コワいし、直葬と大して変わらないじゃん!」と思い、
ZOOの死を経験して、本人の希望を尊重するのも大事だけれど、
人格障害か精神疾患か認知症か定かではないが、
少々イカれた父の言うことを真に受けて、
残された方々の気持ちを尊重しないと、
三男・叔父に、父の意識のあるうちに面会にいらしていただけたのは、
あちらの世界では、母と仲良く、
私が都内に通院するのも半日がかりだから、
告別式の出席も、まあなんとかなるだろうとは思っていたものの、
実際に出かけてみると、
口が乾いて、姉がお昼に用意した助六寿司が食べられなかったり……
薬を服用しなくてはいけないので、
(助六寿司は持ち帰って夕飯に食べた。
兄は、告別式には参加したが、
(奥さんと長男くんが代行してくれた)。
詳しくは書かないが、
でも、「細やかさ」は「神経質」につながり、
30代で再会したZOOには、
(今から思えば、この違和感は正しかった)。
でも、大方「細やかだけど大らかな人」に感じられたし、
彼の振る舞いで客観的に見ておかしいと思うことには、
「それ、世間的に見たら、マズイよ。」と、
親を含め、そういうことを言う人が、
(いたのかもしれないが、
家族になって私がそういう役目を担えば、
自分の実家の人間関係が複雑だった分、
惚れた腫れたのノリではなく、
後年、彼が自分のオリジナルの映画の企画を考えていた際、
それは筒井康隆の『七瀬ふたたび』のように、
超能力を持つ20代の女性と、小学生の少年と、
30代の男性が擬似家族として生きるような設定だったのだけど、
ZOOから「かっこいい。」と言われ、呆れたが……。
****
このブログでは、呑気な暇ネタもたくさん書いたけれど、
一応広い意味で「商用目的」(「販促」と「ボケ防止」)だったので、
ここに書いてあることに偽りはない。
「渋谷さんのダンナさんもタイヘンそう。」と言っていた
(わかる人にはわかるのだと思う)。
ZOOの “ダークサイド” は、彼の死後初めて全貌がわかった。
彼は「統合失調感情障害(or 感情障害)」という精神疾患だったが、
彼の死後、10代から「自己愛性パーソナリティ障害」であったことがわかり、
「ありえない!」と思ったナゾの言動の全てが理解できた。
私が反面教師にして、
次いで、心身ともに強烈なダメージを喰らう事実がわかり、
また、薄々感じていたその要因も、古いご友人の証言で明らかになった。
今では、「よく生き延びてきた方かもね……天寿だったよ……。」という諦念に至った。
誰もが感じるであろう、家族を失った寂寥感に加え、
怒りや憤りで精神が崩壊していくような感覚も味わったし、
父の逝去の際、5ヶ月前の様々な負の感情を、
私の兄の決定的な変容も、「寂しい」といった言葉にもしようがない、
あまりにも色々なことがありすぎて、
自分の感情がどう転んでいくのかわからなかったが、
急いで結論を出す必要はないと、
流れに任せ、心の落ち着く先をぼんやりながめるように努めた。
ZOOは遺言書に「無宗教を自認しているので樹木葬を希望」と書いている
(「分骨」や「散骨」は嫌だったらしい)。
生前、彼は、私が嫌じゃなかったら、
と、おっしゃっていた。

大学病院でリツキシマブ(リツキサン)という生物化学製剤の点滴治療をした。
(抗がん剤の副作用の激烈さは、側で見ている者にとっても非常に辛いものがあった)。
10月にまたやるかどうかは、今後の体調次第……。
最寄駅近くの漢方薬局に駆け込み、
とても親切に対応していただいた。
根気よく漢方薬を飲ませたら副鼻腔炎はほとんどよくなったのだけど、
血液検査とエコー検査で、左の腎機能が少し悪くなっていることがわかった。
今、食べられるものを探しているところ
(漢方薬局にもまた相談してみよう)。
ゴハンは結構食べてるのに、体重が2.9kgになってしまった。
「母さん」も頑張るから、もうちょっと頑張ってね……。
体重がかなり落ちてしまったけど、
今のところゴハンはまあまあ食べている
メス猫の尿検査って難しいようで、これも検討事項。
名前入りのテキトーな歌を歌ってやると、
「ゴロゴロ……ゴロゴロ……。」と気持ちよさそうにして、
やおらゴハンの残りを食べに行ったりするから、副交感神経優位になる様子。
この秋で(推定)16歳。
覚悟をして、悔いのないように看取らねばと思っているけど……。
正直なところ、
もの言えぬ動物の死を受け入れる方が、
人の死を受け入れるより難しいような気がしている。
お久しぶりです!
コメントをいただき、ありがとうございます🙏。
化学療法室(通称「ケモ室」というのですね)の入り口前の椅子に座っていると、
スーツ姿の30代位の男性、ニット帽をかぶった50代位の女性、
一人で荷物を小さなカートに入れて帰っていく60〜70代女性など
(今、思えば、関節リウマチの患者さんもいたのかもしれません)、
年齢・性別・重症度(見た目ではちょっとわかりかねますが)のいろいろな患者さんがいらして、
hさんのことも思い浮かべましたよ。
大変だったでしょうね……よくご無事で!
ZOOの闘病の仔細は、体験者やそのご家族には、ちょっと「閲覧注意もの」ですけど、
大腸がんは日本人で一番多いがんですし、
「何か参考になれば……」とUPしようかとも思っているのですが……。
父もZOOも、生命力は強かったと思います。
父は、「あと2〜3日」と言われてから、結局2週間意識を保ち、本当に眠るように。
(医師は「医学的には亡くなっていておかししくない状態なんですけど」と言い、
なんだか、『北斗の拳』の例の決め台詞を思い出してしまって)。
ZOOは、内臓にがん細胞が散らばった「腹膜播種(ふくまくはしゅ)」という状態でも、
近所に自転車でランチを食べに行ったりしていました。
体力を保ち、食欲増進効果のある、漢方エキス剤の『人参養栄湯』をのませていたので、
割合最後の方まで好きなものを食べていましたね……。
「こんなになるまで、なんで(自分の体に無頓着で)エビオスだの売薬の肝臓の薬なんてのんでたんだ!
バカだよーっ!」と、手術で取り出した大量の臓物を見て余命を告げられた夜は、号泣しましたけど……。
その後は、すぐにかかりつけ医にホスピスを紹介してもらいましたし
(結局、そこは家から少し遠くて見学しなかったのですが)、
介護保険が適用になることも教えてもらいましたので、
「階段に手すり?むしろ1階にベッドじゃないの?」などと、どう利用するのか、
利用せずにホスピスに行くのか、わからないまま、すぐ申請しましたし。
ただ、本人は、ホスピスの見学も最初は嫌がり、
2度目の腸閉塞の後のステント留置術の後も「ウチにいたい」と申しましたので、
「じゃ、いられるだけいればいいよ。」と。
結局、歩行困難になり、「もうウチではムリ!」と、ホスピスに入所する手続きをしました。
入所する前日、その日は訪問診療の医師と看護師の方がみえる日でしたが、
予約時間の少し前に、自宅で私一人で看取るかたちになりました
(事故現場みたいに結構壮絶な状況になり、トラウマになりました……)。
費用的には、敷布団とシーツと古タオルがダメになっただけで済んだわけですが、
布団を粗大ゴミの収集日まで丸めておいて……たまんないですよね😭。
老年期と違って、やはり壮年期のがん患者の最期は、本人もご家族も相当大変なんじゃないかとお察しします。
痛みを取るパッチ型の麻薬剤を貼れば認知力が落ちますし。
でも、3ヶ所見学したホスピスの中の1つの病院で、医師の方が
「そういう薬(=精神科の薬)もいらなくなる」とおっしゃっていた通り、
ずーっとイライラしていたのが、最期はなんだか子どもみたいになってましたね。
私は地獄を見ましたけど、本人は幸せだったと思いますよ。
その後、私は更なる地獄を味わうことになりましたが……。
ちょっと自分の流儀に反する部分もあるのですが
(成人したら、親との因縁と訣別して生きることも不可能ではないので)、
彼のトラウマは非常に過酷なものだったので(結婚前まで、その記憶を抑圧して消していたようなんです)、
あちらの両親(存命なのは義母だけですが)には物申したい気持ちでいっぱいですね。
ただ、高齢ですし、逆に「毒」を吐かれると自分の健康を損なうので、距離を置いています。
あちらはあちらで、次男・特にそのヨメはもう切ったつもりでしょうから。
実際、直葬の日は、
(息子の死に目に会えなかったということを差し引いても)
信じられないような発言も聞きましたし、かなり傷つきました
(義母自体が「自己愛性パーソナリティ」なんですね……)。
出会い頭に「お義母さん、(ずっと黙っていて)ごめんなさい!」と言ったことを、後で後悔しました。
私は、「どんな親でも、おしめを換えて育ててもらったんだから……。」などと、
何回か義母に病気のことを伝えるよう彼に促したのですが、
本人が、「ボケると困るから。」「来られても困る。」と言い張るので、
仕方なく、義母から電話がかかってきても居留守を使い続けておりました。
義兄には状況をLINEで逐一知らせていたので、
義母と同居している義兄は、隠し通すのが大変だったとは思いますけれどね……。
「紙のように軽い」っていう言葉がありますけど、
本当に老猫は、持ったときのその軽さだけで、哀しくなってしまうんですよねー。
わかりますー!! 😭
父の死後、実家で、自分が取っておきたいものを「チェック」しに出向いた際、
ちょうど猫LINE仲間のキジトラの長老猫が亡くなりまして、最期の姿を目に焼き付けてきました。
もう、泣けて、泣けて……。
ウチ、冬場は1階はすごーく寒いのですが、看取りは1階になるかと思いますので、
「本棚処分して、重くないソファとかベンチとか、買おうか?」と、ずーっと検討しているのですけど、
とりあえず『フェリシモ』の「座布団を3つ入れられるカバー」を買いまして💦。
猫仲間のニャンコたちはシニアでも5kgくらいはあるのに、どうなるんでしょうか……。
20歳越えを目指していたのですけど……。
最期は、斎場には行けないので、火葬車を持っている業者さんを探さねば。
Yちゃん、ご主人ともども、どうぞくれぐれもお身体にお気をつけてくださいね♪














