つれづれ

ダブルで新盆、だった。

昨年9月13日、ZOOこと夫・渋谷和行が横行結腸がん・肝転移で亡くなりました。
享年58歳。

また、川越の私の父・小宮 博が、今年の2月10日に心不全で亡くなりました。
享年90歳(一二三美術店の斎藤さんとおんなじ日……」。

私自身、もともと健康体ではないですし、
「家族の闘病〜死」以外にも、尋常ではない心労が重なり、
病状が徐々に悪化しつつありますが、なんとか都心の病院への通院は続けており、
ヤマコの世話をしながら(こちらも年相応に不具合が出てきており……)、
日々、なんとかノロノロと暮らしております。

昨年末から父が終末期に入り、一時は「ダブルで喪中か?」と焦ったのですが、
5ヶ月ほどの “タイムラグ” があったのは、不幸中の幸いだったといいますか……

Facebookに投稿したZOOの闘病の仔細でブログを再開するのも、
ちょっとヘビーすぎるかと思い、
とりあえず今の心境や近況をつらつらと書くことにいたします
(結局、ヘビーと言えばヘビーな長文になってしまいました……)。

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「そろそろ一周忌か……。
 ZOOのFacebookアカウントでの『作品回顧投稿』、早くやっつけなくちゃなー。」

(↑これが一段落するまでは「追悼アカウント」にしないつもりでいたのだけど、
 あまりご覧になる方もいないし、
 身内の健康問題などで滞りがちになり、どうしようかと……💦)

……などと思っていたら、「お盆」である。

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知人のSNSをのぞいていて「新盆」という文字が飛び込んできて、
ハッと気がついたのが、8月12日。
「ダブルで喪中は避けられたけど、新盆はダブルなのか……!」と。

「新盆って、何をするの?」と、とりあえず検索する。

「本人(のカケラ)」はいつもウチにいるし、
白い提灯も胡瓜の馬も茄子の牛もいらないよね?

故人の好物……。
ステーキやハンバーガーの食玩をネットで見たりもしたけど、
「あちらの世界で、なんでも好きなもの食べてるんじゃないの?」
と、バカバカしくなってやめた。
落雁とかお飾りもゴミになっちゃうしね……。

まあ、
例によってありもので、
縁の品々を賑々しく並べとこうかと “ディスプレイ” する。



「お盆」といえば、実家の隣りの祖父母の家から鬼灯をもらって、
毎年毎年、橙色の実を念入りにもみほぐしては、
穴から引き出す際に失敗したことが思い出される。

一度だけ、穴を破かずに取り出せたことがあったのだけど、
成功したとしても、所詮「ぶぶぶ」としか鳴らせないのに
(自分はそれすらもできなかった)、
少なくとも小学生時代は毎夏懲りずに挑戦していたような気がするから、
思い出すとなんだか可笑しくも懐かしい……。


ZOOは2年前の7月初旬に腸閉塞になり、

手術をしてがんが確定し、余命宣告までされた
(執刀医には私から訊ねたのだけど。
 医師は自らそういったことはあまり言わないものなのだそうだ)。


入院中、ZOOは自分と私とヤマコの3人の写真を、
師匠であり “ソウル・ブラザー” でもある翁長 裕さん
撮ってもらおうと言っていた。

そのうち、「いや、自分で撮らなくちゃだめだ。」と言うようになり、
それが「(ケアマネの)Sさんに撮ってもらおう。」となり、
結局、以前仕事中に他の方に撮っていただいた写真を、
「(遺影は)これでいい。」と指定してきた。

ホスピスの見学時に面談した、ある医師がおっしゃった、
「がんとは人の意志を奪う病気です。」という言葉を痛感した。


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大学時代、ミスタードーナツと市営プールでアルバイトをしていたので、
ミスドのマッチと水中眼鏡。

水中眼鏡は本人が使っていたものではなく、
先輩業者さんからお譲りいただいたハワイ製のデッドストック品
(仕入れたものの、「買う人、いる…
?」と思い、
 「店頭」に並べたことは一度もなかった)。

TUBEのミュージック・ビデオのL.A.ロケ時に入手したと思しき
ホテルのマッチを添えた。

酷暑の「海なし県」の埼玉なんかにいないで、
湘南でもハワイでも、好きなところに行ってるんじゃないのかな……?

「迎え火」「送り火」は、私が半世紀以上秘蔵している
「10円時代のガチャガチャ」のランプだ(ちっちゃすぎるか……)。


『シュガー・ベイブ』の1stアルバム(コピーだけど)は、
亡くなる直前、本棚に1枚だけポツンと飾ってあった。

他にも、『青春の殺人者』、『遠雷』、『(秘)色情めす市場』、
『ワークス~「ウルフガイ 燃えろ狼男/怪猫ト◯コ風呂」』
(以上、全てサントラ盤)といった、
彼の荒涼とした心象を表すようなCDがラックに飾ってあったけれど、
やはりこの1枚は特別だったのだろう。


古本の文学全集は、
買ってからほとんど「積ん読」のままだったのではないかと思う。
(大江健三郎、安部公房なんかは、少しは読んだのかなぁ……?)

ただ、
推理小説、怪奇・幻想小説、SFを中心とした文庫本は、
結婚前に結構読んでいたのだろう。

CDも本も、私のこれからの人生でなぞる気がしないものは処分し、
興味のあるものはとりあえず残すことにした。


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一時期、彼が自身で映画化したいと考えていた
『七瀬ふたたび』(原作:筒井康隆)と、
40代を過ぎてときどき読んでいた寺田寅彦の随筆集、
「雪は空からの手紙である」という言葉で知られる
中谷宇吉郎の随筆集。

算数・数学の成績は壊滅的だったと本人から聞いたが、
科学や宇宙などへの関心はあり、
物理学者だったこの二人の随筆は好きだったようだ。

私が以前勤めていた記録映画の製作会社の前身の東宝文化映画部が、
中谷監修の短編映画『雪の結晶』などを製作したり、
その前に勤めていたプロダクションの二人のボスのうちの一人が、
『霧の彫刻』で知られる中谷芙二子さん(宇吉郎の娘)の
スタジオでアシスタントをされていたというご縁もある。

アラ還で、もう『野獣死すべし』はいいよね……?

オーラトーンのスピーカーを持ってにっこりしている
クインシー・ジョーンズおじさんの写真は、
タバコのヤニですっかり黄色くなっている。

好きでよく食べていたりんごを1日だけ置いたけど、
すぐ冷蔵庫にしまった(夏のりんごは高いね……)。

山形がルーツの人なので、
一応、平清水焼の鉄釉片口を線香立てにしている。

底にヒビが入っていて枝豆の鞘くらいしか入れられなかったけど、
好きな品なので、目につく場所で大事な役を割り振れてよかった。

最初は、灰をどこで入手したらいいのかわからず、
“急場”しのぎでコーヒー殻を入れていたが、
巣鴨のとげ抜き地蔵のそばの薬局で買うことができた
(……さすが「おばあちゃんの原宿」)。


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こちらは、2020年5月に撮影した写真。
映画のパンフレットなんて、もう手にも取らなくなったのに、
ぎっしり茶の間に並んでいて、私はちょっと息苦しかった。

この大きな本棚は、
結婚時、ZOOが横浜の日吉から杉並区の永福町の新居に引っ越してきてすぐに、
渋谷の東急ハンズで材料を調達して作ったもの
(大・中・小と三つも本棚を作った。あの頃はマメだったね……)。


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まさか、この後、こんな怒涛の展開になるとも知らず、
「常時」のZOOの「オレ部屋」を記録していた。

唯一、庭が見える部屋なのに、彼はここにいるほとんどの時間を、
巨大なテレビモニターを観て過ごした。


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本棚の中にできた隙間の分だけ、
少し呼吸が楽になったような気がする。

だいぶ「自分仕様」にしたけれど、ZOOの遺品も残している。


オーラトーンの高級機種スピーカーQC-66
翁長さんがまとめて引き受けてくださって、ZOOも喜んでいることだろう。

スピーカーは結構大きく重いので、本棚から取り出せるかしらと思ったのだけど、
なんとか数日がかりで梱包・発送。

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こんなふうに書くと、「古物の仕事、できるんじゃない?」
と思われる方もいらっしゃるかもしれないけれど、
仕入れに行くのがまず無理だし、
ウチにある在庫にしても、瑕疵を含めてきっちり撮影してUPし、
責任を持って、お客様のご入金後すぐに発送できるかというと、少々おぼつかない。

在庫のお問い合わせにご対応するのが精一杯……というのが現状。


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「父さん」がいなくなって、ヤマコはますます寂しがり屋になった。


******


さて、「ダブル新盆」のもうひとかた、私の父は、
昔からわがままで癇癪持ち、食事どきに不平・不満・人の悪口を延々と言う、
少々困ったところがあった。

正直なところ、私は父を「反面教師」にしていたし、
結婚に夢を持たなかったのも、両親のありようが影響していたと思う。


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小学校1〜2年の頃、小宮家の菩提寺の蓮馨寺境内にあった噴水の前で、父と。

この辺りは、映画『鬼畜』(’78年)のロケ場所である。
(94歳になる父の兄は、この映画に
 「アイスキャンディー売りのおじさん」としてエキストラ出演している)。

奥に見える『川越ドリームランド』は、
小規模ながら地元の子供の娯楽の殿堂だった。


父は、晩年はかなり “毒っぽく” なり、
隣家で介護した姉は大変な苦労をした。

ただ、昔はとても子煩悩な人だった。

私は三人きょうだいの末っ子なので、
上の二人に比べると子ども時代の写真は比較的少ないけれど、
手頃なペンタックスのカメラで父が撮った写真は、
自分が死ぬときには託す人もいないが、
見返すといつも「自分の原点」が確認できる。

父は父なりのやり方で子どもたちを愛し、家庭を守っていたのだと、感謝している。


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父の遺影はZOOが2000年のお正月に私の川越の実家の玄関前で、

一家揃ってセルフタイマーで撮った写真から切り取っていただいた。
(リコーフレックスか何かで撮ったのだっけ……?)

小宮家がいつもお世話になっている葬儀屋さんから
「プロが撮った写真」とお褒めいただいた(よかったね)。


父の希望で、母と同じ川越市の市民葬祭場で告別式をした。

姉は最初は「子どもたちだけで」と言っていたが、
姉と兄は顔を合わせてもロクに口もきかない間柄だから、
「そんな告別式、コワいし、直葬と大して変わらないじゃん!」
と思い、
父の態度が原因で関係がギクシャクしていた叔父たちに、
私から連絡を取ることにした。


ZOOの死を経験して、本人の希望を尊重するのも大事だけれど、
人格障害か精神疾患か認知症か定かではないが、
少々イカれた父の言うことを真に受けて、
残された方々の気持ちを尊重しないと、
特に親戚間では禍根が残ると思ったからだ。

三男・叔父に、父の意識のあるうちに面会にいらしていただけたのは、
とてもありがたかった。
興奮しやしないかとも心配だったが、
叔父が「誰だかわかるか?」と尋ねると、父は「わかる」とうなずいたそうだ。


私は、父の意識のあるときに面会に行っただけで、
看取りは姉一人だった(告別式に体調を整えて出席することを優先した)。


あちらの世界では、母と仲良く、
北京ダックやら鰻やら、美味しいものを食べていてほしい。


私が都内に通院するのも半日がかりだから、
告別式の出席も、まあなんとかなるだろうとは思っていたものの、
実際に出かけてみると、
ご焼香の際に体がぐらついて足を揃えられなかったり、
口が乾いて、
姉がお昼に用意した助六寿司が食べられなかったり……
(交感神経MAXで、唾液が普段以上に出なかった)。

薬を服用しなくてはいけないので、
持参したゼリー飲料と蒸しパンを食べて繋いだ
(助六寿司は持ち帰って夕飯に食べた。
 やっぱり料亭の仕出し弁当はスーパーのものより美味しいね)。

兄は、告別式には参加したが、
別館の火葬場には足を運ばず、父のお骨は拾わなかった
(奥さんと長男くんが代行してくれた)。

詳しくは書かないが、
おそらく兄とはもう会うことはないような気がしている。

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この写真は、私の知る限り、
「ZOO史上、一番シュッとしている写真」だと思うので、UPしておく
(36歳のとき)。


私は23歳で一人暮らしを始めてから、
「たぶん自分は結婚しないタイプなんだろう。」と考えていたので、
理想の男性像というのもあまりなかったけれど、
強いて言えば、父と反対に「細やかだけどおおらかな人」がいいと思っていた。

でも、「細やかさ」は「神経質」につながり、
「おおらかさ」は「無神経」と裏表の関係にある。


30代で再会したZOOには、
「えっ?ありえない!」という違和感もあった
(今から思えば、この違和感は正しかった)。

でも、大方「細やかだけど大らかな人」に感じられたし、
彼の振る舞いで客観的に見ておかしいと思うことには、
「それ、世間的に見たら、マズイよ。」と、
率直に言うようにしていた。

親を含め、そういうことを言う人が、
これまで周囲にあまりいなかったのだろうと思い
(いたのかもしれないが、
 彼が聞く耳を持たなかったのだろうと、今は思う。)、
家族になって私がそういう役目を担えば、
変わっていくのではないかと思ったのだ。


自分の実家の人間関係が複雑だった分、
惚れた腫れたのノリではなく、
私は明確に「自分の家族を作ろう。」と思って結婚した。

後年、彼が自分のオリジナルの映画の企画を考えていた際、
それは筒井康隆の『七瀬ふたたび』のように、
超能力を持つ20代の女性と、小学生の少年と、
30代の男性が擬似家族として生きるような設
定だったのだけど、
「私は、自分の家族を作ろうと思って結婚したよ。」と話したら、
ZOOから「かっこいい。」と言われ、呆れたが……。


****


このブログでは、呑気な暇ネタもたくさん書いたけれど、
一応広い意味で「商用目的」「販促」と「ボケ防止」
だったので、
プライヴェートの部分で書けないことは書かなかったが、
ここに書いてあることに偽りはない。

この記事などを見て、伴侶のことで苦労していそうなある女性は、
「渋谷さんのダンナさんもタイヘンそう。」と言っていた
(わかる人にはわかるのだと思う)。


ZOOの “ダークサイド” は、彼の死後初めて全貌がわかった。

彼は「統合失調感情障害(or 感情障害)」という精神疾患だったが、
彼の死後、10代から
自己愛性パーソナリティ障害」であったことがわかり、
「ありえない!」と思ったナゾの言動の全てが理解できた。

精神疾患自体は、
私自身も30代半ばから睡眠障害と目まいをきっかけに
精神科クリニック通いを始めたし
(これは「膠原病予備軍」であったのだろうと、今は考えている)、
会社勤めの方も、フリーランスの方も(もちろん無職の方も)、
特に今はコロナ禍で社会全体がストレスフルになっているし、
殊更珍しいことではないと思っている
(特に受注仕事でモノづくりをする方には多いだろう)。


虐待・ネグレクト……承認欲求を満たされないまま親に支配されて育った子どもは、
自分も同じように人に対して支配的になりやすい。

私が反面教師にして、
“晩年”のZOOが「病気自慢」と露骨に嫌っていた私の父と、ZOO当人は、
親の愛に飢え、コンプレックスを抱えた神経質な次男坊という点が、実はそっくりで、
長男びいきの母親に対する屈折した感情から
(日本の男性には多いようだけれど)、
カミさんを母親代わりにするところまで同じだった

まあ、双方、典型的な「昭和の男」だったということですね……。


ZOOの死後、
「この人の人生はもうちょっとなんとかならなかったんだろうか……?」
というやりきれなさがあり、
次いで、心身ともに強烈なダメージを喰らう事実がわかり、
また、薄々感じていたその要因も、古いご友人の証言で明らかになった。

今では、
「よく生き延びてきた方かもね……天寿だったよ……。」という諦念に至った。


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お盆が終わっても、これは “デフォルト” で置くことにした。
私の “エア・晩酌セット” を兼ねている(トホホ……)。


誰もが感じるであろう、家族を失った寂寥感に加え、
怒りや憤りで精神が崩壊していくような感覚も味わったし、
父の逝去の際、5ヶ月前の様々な負の感情を、
またなぞるようなかたちになったのも堪えた。

私の兄の決定的な変容も、「寂しい」といった言葉にもしようがない、
複雑な澱となって心の底に沈んだ。


あまりにも色々なことがありすぎて、
自分の感情がどう転んでいくのかわからなかったが、
急いで結論を出す必要はないと、
流れに任せ、心の落ち着く先をぼんやりながめるように努めた。


ZOOは遺言書に「無宗教を自認しているので樹木葬を希望」と書いている
(「分骨」や「散骨」は嫌だったらしい)。

生前、彼は、私が嫌じゃなかったら、
家に自分の骨を置いてくれないかと言ったので、
「いいよ。『よね(の分骨)もそうしてるし。』と応えた。

葬儀屋さんは、
「ペットと一緒に入れるお墓も、これから増えてくるでしょう。」
と、おっしゃっていた。


どこの土の下に入るのか、まだわからないけれど、
子どもがいないので、ZOOとヤマコと私のお骨を一緒に埋葬するよう、
司法書士事務所かどこかに早めに頼まないといけないなと思っている。


いろいろあったとはいえ、
ZOOが私の「家族」であったことは確かなことのように思える
(ひどく冷めた言いかたのようだが、
 彼の「家族観」と私の「家族観」には相違があったので、
 こんなふうにしか書けない)。

ただ、彼の闘病と死に関し、私は家族としてできることは全てやった。
この点に関しては、一分の後悔もない。


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4月に、週に1回
大学病院でリツキシマブ(リツキサン)という生物化学製剤の点滴治療をした。

ZOOの抗がん剤治療のことを思い出さずにはいられなかった
(抗がん剤の副作用の激烈さは、側で見ている者にとっても非常に辛いものがあった)。

私の方の治療の効果(?)としては、
倦怠感が少しマシになったが、痛みが微増して、プラスマイナス・ゼロといった感じ。

10月にまたやるかどうかは、今後の体調次第……。


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ヤマコは、副鼻腔炎が悪化して、
新しい抗生剤をのませたところ、嘔吐して服用を続けられなかったので、
最寄駅近くの漢方薬局に駆け込み、
「人間で言えば70代・体重3.5kgの猫・副鼻腔炎」と相談したら、
とても親切に対応していただいた。

根気よく漢方薬を飲ませたら副鼻腔炎はほとんどよくなったのだけど、
血液検査とエコー検査で、左の腎機能が少し悪くなっていることがわかった。
結石か石灰化かわからないが、小さな白い影もあった
(なんだか飼い主によく似ているのである……)。


動物病院でいただいた療養食のサンプルを食べなかったので、
今、食べられるものを探しているところ
(漢方薬局にもまた相談してみよう)。

ゴハンは結構食べてるのに、体重が2.9kgになってしまった。
「母さん」も頑張るから、もうちょっと頑張ってね……。


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粛々と遺品整理をしていて、1階の茶の間の押し入れ下段は、
ヤマコの終末期にはケージを入れようかとも思っていたのだけど、
とりあえず特大段ボール箱で
『ヤマコ・ホテル・グランデ(!)』、新築
(ペイントなどしていないので、相変わらずビンボー臭い……)。

体重がかなり落ちてしまったけど、
今のところゴハンはまあまあ食べている
(お腹の具合を見ながら、お通じのためにセンナの実を少し振りかけている)。

ただし、栄養が「ダダ漏れ」状態の可能性もあるとのこと。
メス猫の尿検査って難しいようで、これも検討事項。

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これは、“エア・ウクレレ” でリラクゼーション中のヤマコ。

私が右手でお腹を、左手で顎の下をモシャモシャとマッサージしながら、
名前入りのテキトーな歌を歌ってやると、
「ゴロゴロ……ゴロゴロ……。」と気持ちよさそうにして、
やおらゴハンの残りを食べに行ったりするから、副交感神経優位になる様子。

この秋で(推定)16歳。

覚悟をして、悔いのないように看取らねばと思っているけど……。

正直なところ、
もの言えぬ動物の死を受け入れる方が、
人の死を受け入れるより難しいような気がしている。


*******


ZOOの逝去に際し、様々な方から温かいお心遣いをいただきました。
遅くなりましたが、この場を借りまして、厚く御礼を申し上げます。

SNSで刹那的なつぶやきは書けても、
なかなか私信(とお返事)が書けず、非礼も多々ございますが、
少しづつ自分自身の仕事でできたご縁や交友が
取り戻せればと思っております
(といっても、ほとんどメールやSNSですが……)。

今後ともどうぞよろしくお願いいたします。



☆【Facebook】【Instagram】【Twitter】……フォローは御自由にどうぞ。



Commented at 2022-08-28 13:27
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by penelope33 at 2022-08-30 11:03
> 鍵コメント at 2022-08-29 16:46 様

お久しぶりです!
コメントをいただき、ありがとうございます🙏。


化学療法室(通称「ケモ室」というのですね)の入り口前の椅子に座っていると、
スーツ姿の30代位の男性、ニット帽をかぶった50代位の女性、
一人で荷物を小さなカートに入れて帰っていく60〜70代女性など
(今、思えば、関節リウマチの患者さんもいたのかもしれません)、
年齢・性別・重症度(見た目ではちょっとわかりかねますが)のいろいろな患者さんがいらして、
hさんのことも思い浮かべましたよ。

大変だったでしょうね……よくご無事で!

ZOOの闘病の仔細は、体験者やそのご家族には、ちょっと「閲覧注意もの」ですけど、
大腸がんは日本人で一番多いがんですし、
「何か参考になれば……」とUPしようかとも思っているのですが……。


父もZOOも、生命力は強かったと思います。

父は、「あと2〜3日」と言われてから、結局2週間意識を保ち、本当に眠るように。
(医師は「医学的には亡くなっていておかししくない状態なんですけど」と言い、
 なんだか、『北斗の拳』の例の決め台詞を思い出してしまって)。

ZOOは、内臓にがん細胞が散らばった「腹膜播種(ふくまくはしゅ)」という状態でも、
近所に自転車でランチを食べに行ったりしていました。

体力を保ち、食欲増進効果のある、漢方エキス剤の『人参養栄湯』をのませていたので、
割合最後の方まで好きなものを食べていましたね……。
Commented by penelope33 at 2022-08-30 15:05
私自身は、「ああしてやればよかった。」という後悔は一切ないです。

「こんなになるまで、なんで(自分の体に無頓着で)エビオスだの売薬の肝臓の薬なんてのんでたんだ!
 バカだよーっ!」と、手術で取り出した大量の臓物を見て余命を告げられた夜は、号泣しましたけど……。

その後は、すぐにかかりつけ医にホスピスを紹介してもらいましたし
(結局、そこは家から少し遠くて見学しなかったのですが)、
介護保険が適用になることも教えてもらいましたので、
「階段に手すり?むしろ1階にベッドじゃないの?」などと、どう利用するのか、
利用せずにホスピスに行くのか、わからないまま、すぐ申請しましたし。

ただ、本人は、ホスピスの見学も最初は嫌がり、
2度目の腸閉塞の後のステント留置術の後も「ウチにいたい」と申しましたので、
「じゃ、いられるだけいればいいよ。」と。

結局、歩行困難になり、「もうウチではムリ!」と、ホスピスに入所する手続きをしました。

入所する前日、その日は訪問診療の医師と看護師の方がみえる日でしたが、
予約時間の少し前に、自宅で私一人で看取るかたちになりました
(事故現場みたいに結構壮絶な状況になり、トラウマになりました……)。

費用的には、敷布団とシーツと古タオルがダメになっただけで済んだわけですが、
布団を粗大ゴミの収集日まで丸めておいて……たまんないですよね😭。

老年期と違って、やはり壮年期のがん患者の最期は、本人もご家族も相当大変なんじゃないかとお察しします。

痛みを取るパッチ型の麻薬剤を貼れば認知力が落ちますし。

でも、3ヶ所見学したホスピスの中の1つの病院で、医師の方が
「そういう薬(=精神科の薬)もいらなくなる」とおっしゃっていた通り、
ずーっとイライラしていたのが、最期はなんだか子どもみたいになってましたね。

私は地獄を見ましたけど、本人は幸せだったと思いますよ。

その後、私は更なる地獄を味わうことになりましたが……。
Commented by penelope33 at 2022-08-30 15:17
これを言ってしまうと、親に対する愛憎を乗り越えられなかったZOOと同列になってしまうようで、
ちょっと自分の流儀に反する部分もあるのですが
(成人したら、親との因縁と訣別して生きることも不可能ではないので)、
彼のトラウマは非常に過酷なものだったので(結婚前まで、その記憶を抑圧して消していたようなんです)、
あちらの両親(存命なのは義母だけですが)には物申したい気持ちでいっぱいですね。

ただ、高齢ですし、逆に「毒」を吐かれると自分の健康を損なうので、距離を置いています。
あちらはあちらで、次男・特にそのヨメはもう切ったつもりでしょうから。


実際、直葬の日は、
(息子の死に目に会えなかったということを差し引いても)
信じられないような発言も聞きましたし、かなり傷つきました
(義母自体が「自己愛性パーソナリティ」なんですね……)。

出会い頭に「お義母さん、(ずっと黙っていて)ごめんなさい!」と言ったことを、後で後悔しました。

私は、「どんな親でも、おしめを換えて育ててもらったんだから……。」などと、
何回か義母に病気のことを伝えるよう彼に促したのですが、
本人が、「ボケると困るから。」「来られても困る。」と言い張るので、
仕方なく、義母から電話がかかってきても居留守を使い続けておりました。

義兄には状況をLINEで逐一知らせていたので、
義母と同居している義兄は、隠し通すのが大変だったとは思いますけれどね……。
Commented by penelope33 at 2022-08-30 15:17
Yちゃん、13歳ですか!

「紙のように軽い」っていう言葉がありますけど、
本当に老猫は、持ったときのその軽さだけで、哀しくなってしまうんですよねー。
わかりますー!! 😭

父の死後、実家で、自分が取っておきたいものを「チェック」しに出向いた際、
ちょうど猫LINE仲間のキジトラの長老猫が亡くなりまして、最期の姿を目に焼き付けてきました。
もう、泣けて、泣けて……。

ウチ、冬場は1階はすごーく寒いのですが、看取りは1階になるかと思いますので、
「本棚処分して、重くないソファとかベンチとか、買おうか?」と、ずーっと検討しているのですけど、
とりあえず『フェリシモ』の「座布団を3つ入れられるカバー」を買いまして💦。

猫仲間のニャンコたちはシニアでも5kgくらいはあるのに、どうなるんでしょうか……。
20歳越えを目指していたのですけど……。

最期は、斎場には行けないので、火葬車を持っている業者さんを探さねば。


Yちゃん、ご主人ともども、どうぞくれぐれもお身体にお気をつけてくださいね♪
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by penelope33 | 2022-08-27 15:48 | つれづれ | Comments(5)

古物商(ロータス・ブルー/青蓮亭)。『シェーグレン症候群』のため、ほぼ休業中。Semi-retired antique dealer. Volunteer of a NY-based non-profit foundation providing trauma care for children. Modern art works on sale for charity.


by 青蓮亭
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