本人が「行きたくない」と言うので(しかも、後から「俺はそんなことは言っていない」と言い張る💦)、
M病院の患者相談室の方に清瀬市の2ヶ所の病院受診を調整していただき、
1日で2ヶ所、二人で受診・見学に行く。
残りのひとつは、コロナ禍のため、家族のみの面談と言われ、自分で連絡してひとりで面談
(ソーシャルワーカーの方や、私と同い年の元・外科医の担当医とお話しさせていただき、この病院に決める)。
2021年9月30日。額の「M」の字。
2021年10月3日。ぐわしっ。
2021年10月3日。
洒落た猫グッズを買ってもことごとく無碍にされ、結局、「シェルター」は最後まで段ボール箱だった。
川越の父の介護はずっと姉に任せきりだった。ZOOの死後の諸手続きなどはあるものの、ウチの方が「終わった」ので、父が誤嚥性肺炎で入院した病院のカンファレンスに「助っ人」として行ったり、緊急時の連絡方法を決めたり(メールができる叔父には私が連絡する 等)、自宅でできる “後方支援” をするようになった。
ZOOのお知り合いの方々の弔問へのご対応もポツポツ(もうロクに料理もできないので、成城石井で買った王子のスモークサーモンとか、 友人にいただいて重宝した冷凍笹寿司とか、 ZOOの好きだったカブやセロリの糠漬けとか、せいぜいそんなもの)。
ヤマコは「父さん」のお知り合いの方々には、妙にフレンドリーだった。「母さん」とふたりきりになってしまい、寂しかったのか?「父さん」のことを思い出していらしてくださった方のことは、なんとなくわかったのか……?
2021年、大晦日。青っぱなが出ているけど、さほど痩せていなかった。
長年、冬の骨董市出店時に使っていたmont-bellのフリース毛布でおくるみ状態。
2022年2月3日(「母さん」の「母さん」の誕生日)。この頃はちょっとふっくらしてた。
3月3日。「父さん」の誕生日。
動物病院で、それまでの抗生剤(エンロクリア錠150mg)の代わりに、
新しくもらった抗生剤(ビブラマイシン錠100mg × 2回)をのむと吐くようになり、
「抗生剤では副鼻腔炎の膿は出せない→だから一時的に治ったように見えても根治しない」
という記述をネット上で知り、近所の漢方薬局に相談したのが、3月下旬。
4月に自分のリツキシマブ点滴治療実施が決まり、
長時間、家を留守にもするし、「もう強い西洋薬はのませられない」と思った。

参考にしたのは、『猫のとらじの長い一日』というコミックエッセイ。
エイズを発症した猫が動物病院で「余命3日」と言われ、
「主さん」がネットを調べ尽くし、
「エイズは治せなくても漢方で免疫力をUPさせることはできる」
という情報を得て、漢方薬局に駆け込んだ次第が描かれている
(結局、この方の猫は、その後4ヶ月間生きた)。

ウチの最寄駅のそばの漢方薬局のご主人は、
ヤマコに処方されている抗生剤の量(ビブラマイシン錠100mg × 2回)は、
人間にしても相当な量だとおっしゃっていた。
猫を飼っている方のブログを読んで、
自分であたりをつけていた『葛根湯加川芎辛夷(かっこんとうかせんきゅうしんい)』
について尋ねると、「(この歳の猫には)強すぎる」ということで、
最初はインフルエンザなどにも良いという『板蘭根(ばんらんこん)』を
(上記の本にも載っている)。
これが効かなかったので、
鼻の炎症にいい『辛夷(しんい)』に、体力を補う『補剤』
(体を温め、マイルドな炎症効果もある『桂枝』他、さまざまな成分を調合した薬。
人間で言えば『補中益気湯』『十全大補湯』『人参養栄湯』など)
を混ぜて処方していただいた。
同時に、乳酸菌入り『ちゅ〜る』や、マッサージなどでも、
お通じの具合が今ひとつになってきたので、『センナ』について尋ねたところ、
『センナの実』は効き目がマイルドだということで、合わせていただいた。
薬の類はゴハンに混ぜると食べないけれど、センナの実は、
“カンカン(=ウェットフード)” +獣医用『ちゅ〜る』の
「ゴハン」に混ぜ込んでも大丈夫だった。
20年以上前、実家で飼っていた『よね』が老齢になり💩秘してしまい、
動物病院でバキューム機で吸引され、
その場で死んでしまったという事実が頭にこびりついており、
母が「あんなことをしなければよかった」と泣いていた姿を今でも思い出す。
上記の本でも、女医さんが『とらじ』ちゃんに対し、
「摘💩」する場面が描かれていて、それだけはどうしても避けなければと……。
4月4日、寝る前に
脳内に “東映色” が残っていたせいか、梅宮辰夫さんがヤマコに酷いことをする夢を見て、
寝言で抗戦しながら目が覚めた……。
この映画での梅宮さん、全然怖くないんだけど……。ZOOがひところ『不良番長シリーズ』を観てたときの記憶とMIXされたのか?
睡眠障害対策と疼痛緩和を兼ねて、睡眠導入剤2種類と
(眠り続けるための)中時間型の睡眠薬を1種類飲んでいるのだけど、
導入剤が切れるとREM睡眠しかできないので、よく悪夢を見る。
処方していただいた漢方をのませ始めても、5日間位食事をしなかったのだけど、
普段の体調不良時のように暗いところに閉じ篭もらなかったし、
眼に力があり、表情がしっかりしていて、割合いつも通りの様子なので、見守っていた。
そのうちに、急にゴハンを食べるようになり、鼻水・くしゃみ・咳が少なくなってきた。
2022年4月11日。
いっぱい食べるようになった!よかった!
この月は、「母さん」、週1で朝から信濃町のK應病院で長時間の点滴治療。
家の中は寒いから、ウェットフードもカリカリも目一杯出しておいて、湯たんぽをあてがって出かけたけど、帰宅してヤマコの様子を見るまでは気が気ではなかった。
4月30日。
割合落ち着いてはいる。でも、「ただいま!」と言っても、もう玄関まで迎えに来ない。

5月8日。元気だけど、顔がちょっと痩せてきた。
センナの実だけにして様子を見てみたが、副鼻腔炎はだいぶ改善されたように見えた
(代わりに、梅雨の頃は自分の方が不調に……💦)。

8月10日。
妙に飲水量と尿量が増え、今までそんなことはなかったのに
水道の蛇口に口をつけてペロペロ水を飲みたがるようになった
(専用の洗面器やボウルに入れた水より、冷たい水が飲みたくなってきた?)。
そして、お通じが滞ると、床に盛大に水っぽいものを吐瀉するようになり、
這いつくばって掃除するこちらも、かなり消耗……。
「これって、腎臓が悪いの……?」という気がしてきて、
8月20日、爪を切ってもらいに動物病院に連れて行った際、血液検査をしてもらった。
体重が3kgを切ったヤマコのか細い脚から、検査に必要な血液を採るのが大変そうだった
(自分の採血も、担当の人に「一番細い針でお願いします」と言っているので、 体感としてすごくよくわかる……)。

2022年8月21日。
結構食べているのに、痩せてきている。顔がそろばん玉みたいにとんがってちっちゃくなってきて、抱えたときの軽さに、言いようのない気持ちになる。
検査結果に異常がなければ郵送ということだったが、
先生からお電話があり、腎臓の数値が悪いとのことだった(あと、肝臓の数値も少々)。
8月24日、お腹の毛を剃ってもらって、エコー検査をしたところ、左の腎臓が萎縮しているとのこと。
小さく白く写っているのは、結石か、石灰化した部分だという。
漢方薬局に相談したら、人工透析をしている方やがんの方にも使うという
『霊芝』(シベリア産の『チャガ』というサルノコシカケ科のキノコ)を処方してくださった。
ヤマコの左の腎臓が萎縮してしまったのは、加齢のせいなのか、
ずっと服用していた抗生剤が負担になったのか?
寂しがり屋の「父さん」が、「ヤマちゃん、こっち来なよー」と呼んだのか?
4月の「留守番」が寂しかった?
2008年8月14日。永福町の家の庭で。
ZOOは2006年に長編劇映画・第2作のクランクイン3日前に監督を降板し、「眠れない」というので、私のかかりつけ精神科クリニックに連れて行った。「睡眠導入剤だけでも」と思っていたのだけど、処方される薬の種類や量、また、それまで時折見せていた言動からも「うつ病という感じじゃないな……」という気がしていた。
でも、ヤマコのことは、とても可愛がっていた。
私は子育ての経験もないし、あまり猫をベタ可愛がりしないタイプだったのだけど、ZOOが「ギュッとする(=抱きしめる)とゴハンを食べるんだよ」と言うのを聞いて、ハッとしたことがあった。
「そうだよね……子どもとおんなじで、『父さん』や『母さん』にギュッとされたら、 嬉しくて満ち足りた気持ちになるよね……」と気づかされると同時に、改めて「この人は、子どものまんまなんだ」と。
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私は2階に布団を敷いて寝ていたのだけど、ヤマコが朝のゴハンの催促以外は2階に上がってこなくなってきたので、1階の押し入れ下段を片付け、奥行きいっぱいある巨大段ボールで、“シェルター” を新調した(『ヤマコ・ホテル・グランデ』……)。

自分も、厚みのあるマットレスを買って(畳んでクッションを置けばソファー代わりになる)、
1階で寝るようになった。
だんだんヤマコが、触わったり抱っこしたりするのを避けるようになってきたので、つかず離れず見守るしかなかった……。
instagramとTwitterとFacebookに、私の下手くそな「名前連呼型・猫バカ全開・寝子守り唄」に反応するヤマコの最後の動画をUPしている。
9月19日にその動画を撮った後、火葬車の業者を検索して探した。
9月23日。
21日頃からゴハンを食べなくなり、シリンジで与える薬もうまく飲み込めなくなってきた。
前日から水も飲まなくなった。トイレを使っている様子もない。
後で、ペットシートが濡れていることに気がついた……。
これも、後からかかりつけ精神科医に聞いたのだけど、腎臓が悪いとやはり熱感があるとのことだった(『父さん』の肝臓とおんなじ……)。
好きな畳の上に移動したかったのかなと思ったけれど、“シェルター” が濡れてしまい、心地悪かったのかもしれない(ごめんね……🙏)。
18時頃、お風呂場から一段高くなったトイレのタイル床の奥の方で見つける。
荒い息をして苦しそうに壁にピタリと体をつけていたのだけど、ひんやりしたタイルの上にわざわざ移動しているのだから、触ったり移動させたりしない方がいいだろうと思い、そのままにして、いつものように「夕寝」をした(この時間に休まないと、夕食後、起きていられない)。
2時間程して目が覚め、ハッとしてトイレに駆けつけると、ヤマコは便器の前の方に移動し、四肢を投げ出して横たわっていて、もう息をしていなかった。
「こんなところでひとりで死なせてしまった。なんで、一緒にいてやらなかったんだろう……」と、後悔の念でいっぱいになり、「ごめんね……」と号泣するしかなかった。
あらかじめ考えていた、ブーツが入っていた白い箱には収まらず、Amazonの段ボール箱に、裂いた45Lのゴミ袋と白いタオルを敷き、なきがらを収め、家の脇の供用地で育てているアナベルの花をちぎって敷き詰めた。
火葬時には、ビニールなど燃えないものは入れてはいけないのだけど、体内から滲出液が出るかもしれないので……。
1年前に『父さん』にしたことと全く同じだった。
ただ、息を引き取る瞬間をちゃんと見届けてやれなかった自分が情けなく、どうにも腹立たしくて、いつまでも涙が止まらなかった。
業者さんに電話すると、翌日は予約が入っていて、台風も来ているからと、火葬車は、1日おいた25日(日)の午後に来てもらうことになった。
電話で「(この季節でも)1日位は大丈夫ですよ」と聞いたけれど、なるべくきれいな姿のままにしてやりたくて、深夜、レインコートを着て、保冷剤を買いに24時間営業のドラッグストアに行った。
「おいていません」というので、冷やして固めるジェルタイプの「氷枕」を4つ買う。
冷凍させてビニール袋に入れて、ふたつづつ。溶けてきたら、あとのふたつと取り替える。
台風のおかげで、「お別れ」する時間が1日できた……。
25日、業者さんが来る前に、体を拭いてやり、お日様の光の下で再撮。もうアナベルの毒を気にする必要もない。
2015年7月19日。暑い夏の日、よくアナベルの根元で涼んでいたっけ。
『父さん』とお揃いの額。
真ん中は、出会ったときにつけていたボロボロの首輪。
奥のふたつは、押し入れに閉じ込めてしまって以来、室内でもつけるようになった軽量タイプ。
2007年9月の夜、初めてウチの中に入ってきたときの写真。
昔、ブログに載せたときは、「やっぱりまだこの頃は、目が険しかったなー」と思ったのだけど、明るく補正してみたら、微かに微笑んでいるような顔をしていた。
いろんな後悔ばかりが渦巻いていたけれど、「ウチに来て、嬉しかったんだな……」と、やっと思えるようになった。
ヤマコっぽいイメージの文様の端切れを引っ張り出してみる。ギリギリ骨壷が包めるサイズだった。
ヘッドフォンをつけた仕事中の額入り写真は、もう、来客時だけ出すことにする(その代わり、Facebookなどで作品の紹介をポツポツしている)。
私がポラロイドSX-70で撮った、このボケボケ写真でいいよ。
ZOOは、「家族写真」を撮るなどと言いながら、最後まで「自分の死」と対峙できなかった。
「俺が死ぬまで、俺のものは全部とっておいてくれ」と言って、自転車で好きなランチを食べに出かける欲と体力はあっても、本の1冊も処分しようとしなかった。
がんになる前、私が死んだら私のものは全部捨てると話していたから、「形見分け」といった発想もないし、その労力も想像できなかったのだろう。
『(自己愛性)パーソナリティ障害』は、「性格」の良し悪しなどではない。「自覚のない病」だ。
プライドの基盤が脆弱でコミュニケーションでつまづきやすい者は、精神疾患になりやすいが、メンタルの強靭な人間は精神科や心療内科になど行かない。
パワハラ上司・モラハラ・クライアント、セクハラ教師、DV夫……。世の中にゴロゴロいるそんな人たちの中に、一定数、混じっていると思う。
今は、こんな感じで、「3人」で暮らしている。「お墓まいり」をしないで済むのは、私には都合がよい。
もしかしたら、「お墓」でZOO一人と対峙されたい方もいらっしゃるかもしれないけれど……。
最近、伊集院 静さんが愛犬の死について書かれた新刊を、
近所のスーパーの書籍売り場で立ち読みした。
日本の作家でペットを可愛がり、四六時中そばに居させた例は、
写真や周囲の人たちの話でよく耳にするが、
不思議と作家が彼らのことについて書いた印象深いものは少ない。
−−なぜだろうか?
と考えてみて、自分でも愛犬のことを思いつくまま書いてみたが、
これが簡単に書けないことがわかった。難しい作業であり、辛い時間と向き合わなければならないのだ。
……と記されていた(「内田百閒の『ノラや』はどうなん?」と思ったけど……)。
人それぞれ、生きものそれぞれの出会いと別れがあり、
いくつもの情景や表情や仕草が浮かび上がってきて、
言語化しようのない「想い」が胸中を埋め尽くし、プロの文筆家でも難渋するのは想像がつく。
一緒に長年暮らして、先立っていった動物たちに対しては、
子どもと親をいっぺんに亡くしたような寂寥感と、
「ごめんね」「大好きだったよ」「ありがとね」という言葉しか浮かばない。
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自分は、最終的にどこに住んで、どこで死ぬことになるのかな……?
ZOOが亡くなった頃は、檀家以外でペットと一緒に樹木葬してもらえるようなところは、格安の千葉のNPOしか見つけられなかったけど(どうせ墓参りなんて来る人もいないから、 土に埋まってさえいれば、どこでもいいと思っていた)、先日、「川越・樹木葬・ペットと一緒」で検索して、一応、資料請求してみた。
まあ、横浜でもどこでもいいのだけど、埼玉の方が安いような気が……。
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ネット上でしかやり取りをしたことがない方のほうが多い気がしますが、
ヤマコは本当に皆様にかわいがっていただいたと、感謝しております。
年内ギリギリとなりましたが、
ようやくご報告できて、肩の荷が少し下りたような気がしております。
ヤマコのなきがらやZOOの終末期の写真を載せてしまい、
悲しく辛い思い出が蘇ってしまった方がいらっしゃったら、申し訳ありません。
また、今、まさに、
ご自身やご家族がこうした渦中におられる方もいらっしゃるかもしれません……。
でも、私もいまだに引きずっておりますが、
ヤマコについて、「虹の橋を……」と書くのは、なんだか違うような気がしたのですよね。
以前も書きましたが、ZOOの闘病については、自分なりにできることは全てやりきりました。
私は、ZOOのなきがらの写真も、今年2月に亡くなった父のなきがらの写真も撮って、
最期に立ち会えなかった、ごく近しい人にだけ送ったり渡したりしました。
昨年の9月はZOOのなきがらの目と口を手で押さえ
(人の場合は、訪問看護師さんがいらした際、「マズル」のような針金を口に巻いていただけましたが)、
今年の9月はヤマコのなきがらの目と口を押さえました。
でも、生と死は地続きというか……
(これも猫バカといえば猫バカなのかもしれませんが)、
ヤマコの最期の顔は、隠すようなものではないという気がしたのです。
これは飼い主さんによって、いろいろなお考えがあるかとは思いますし、
「猫ブログ」ではないので、猫がお嫌いな方のことも考慮しないといけないのかもしれませんが……。
もはや、古物商の体を成しておりませんし、
「『日記』なんだから、“私写真” を載せたっていい」と、勝手に考えた次第です。
当ブログ最大の “癒しネタ” がなくなってしまい、
残ったのは訳のわからない “ビョーキ・ネタ” ばかりとなり、
もしかしたらinstagramに移行する可能性もあるかもしれませんが、
遺品整理が一段落し、体調が落ち着いた際には、
在庫の品を並べて「ひとりWEB骨董市」をやりたいという考えもあります。
とりあえず、今は、検査もリハビリも治療も中途半端ですので、
これ以上悪化しないよう、ゆるゆる・ノロノロと暮らすつもりでおります。
リアルな “社交” が難しい分、SNSで精神の安定と認知力を保っておりますので💦、
今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。
いろいろ大変なことを抱えている方も多いかと思いますが、
努力次第でなんとかなることと、自分の力ではどうにもならないことがあるかと。
皆様、あまりご無理をなさらず、頑張れそうなときは頑張って、
疲れてきたらテキトーに力を抜いて、
心と身体のコンディションを保って、なんとか上手く生き抜いてください。
どうぞ、佳いお年を。