つれづれ

お彼岸にヤマコも。

9月23日(祝・金)、お彼岸の日の夜に、自宅でヤマコが亡くなりました。


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2007年8月にウチに押しかけて、やがて寝泊まりするようになったヤマコ。
首輪をしていたので、最初は「飼い主さん、心配してるだろうなぁ……」と思っていた。

でも、ウチに遊びに来る「首輪をつけた猫」はそれまでも何匹かいたけれど、
ヤマコの切実な感じは他の猫と全然違っていた。

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「あけてーっ!なかにいれてーっ!」


「飼い主に置いていかれたんでしょう。避妊手術もしてありますね。この秋で2歳」と言われ、
心おきなく「ウチの猫」と呼べるようになった。

秋生まれなので、10月1日を「誕生日」にしていた。




推定16歳。人間で言えば、80歳
(仕方ないといえば仕方ない年齢だけど、20歳超えを目指していた……)。


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長年に渡り、このブログをご覧いただいている方に可愛がっていただき、
本当にありがとうございました。

かなり凹んでいるのは事実ですが、
写真を整理しながら思い出してやること、
こうして記事に残してやることで、ヤマコの「猫生」を全うさせてやろうと、
最後まで “猫バカ” に徹することにいたしました。

猫の苦手な皆様、ご容赦くださいませ。


下の画像は、2017年・秋のお彼岸の日に撮った写真。

ヤマコのベスト・ポートレイト。


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以降の部分に、がん患者だったZOOと腎臓病だったヤマコの、
それぞれの末期の生々しい描写が含まれております
(迷った末、ヤマコのなきがらの画像も最後の方に載せました)。

直近にご家族を亡くされたり、終末期のご家族を見守られている方、
ご自身がご闘病中の方、ペットロスの最中の方などは、
閲覧をご一考くださいますようお願いいたします。


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ヤマコは、シニア期になり、たびたび副鼻腔炎(蓄膿症)になってからは、
咳・くしゃみ・鼻水の症状が出て、悪化すると暗いところに閉じこもって食事を摂らなくなった
(炎症の辛さもあるのだろうが、ゴハンの「匂い」がしなくなるのが大きな原因だそうだ)。

濃い鼻汁が出たり、咳がひどくなったり、
食事をしなくなると、動物病院で抗生剤をもらってのませていた
(最初は錠剤、その後、粉薬にしてもらって、ぬるま湯で溶いてシリンジで)。


生前のZOOには、がん発病前から、何度も禁煙を懇願した。
煙草を吸う本人が病気になるのは、自分で選んだ人生だからいたしかたないが、
副流煙は非喫煙者にとって迷惑でしかない。

まして、ヤマコは5kgにも満たない小動物だ(私自身にも、肺に微小結節がある)。

ZOOは、「俺が煙草をやめても、ヤマちゃんの咳はよくならない」などと言って、
終末期” になっても煙草はやめなかった
(末期がん患者の終末期には、喫煙でリラックスできれば、本人の精神安定にはいいらしいが……)。


ヤマコが死んだときは、自分に対してもZOOに対しても、
後悔やら、怒り・憤りやら、負の記憶と感情が噴き出して、
ZOOの遺影は片付けてしまったのだけど、
1ヶ月ほどヤマコの写真を整理しているうち、彼女の体調悪化の一番の理由は、
やはり「父さんの不在」だと感じるようになった。

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『飼い主が愛猫のためにできること 猫の腎臓病がわかる本』
(日本獣医生命科学大学 宮川優一 著/腰栄養大学出版部 刊)より


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2020年6月25日

この頃には、お天気のいい日に適度な散歩をさせていた
(歳相応に、早めに帰ってくるようになっていた)。


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2020年7月2日。
ZOOが救急搬送されたM赤十字病院にて。


数日間、お腹が膨れて「苦しい」「痛い」と言っていたZOOが、この日、やっと近医を受診。
そこからM赤十字病院に救急搬送。

6月下旬に入ってから調子が悪そうだったが、27日(土)、28日(日)を挟み、
昼夜逆転生活のため、29日(月)・30日(火)・7月1日(水)も、近医の診療時間内に起きられず
(だいたい、内臓の不調で医者にかかるという発想がない。健康診断すらしたことがない)。

その間、「浣腸を買ってきて!」「こんなにお腹が膨れてるんだ!」などと言うので、
「救急車を呼ぼうか?」と言っても拒まれた
(腸閉塞らしいことは素人でも見当がついた。相当苦しかったと思うのだが……)。


搬送時、救急隊員の方に、ZOOが、
「兄が救急隊長なんですけど、自分がこんなふうになるなんて立つ瀬がない。」
といったことを話していた
(「“他所” では、どこまで見栄を張るんだろう」と思った……)。

隊員の方は、
「そんなことはないですよ。誰でもこういうふうになることはありますよ。」と
優しく諭してくださった。


(近医でも、ある程度わかっていたのだと思うが)
搬送後の血液検査で、がんマーカーや炎症反応が高かったので、CT検査に連れて行かれた。

M病院の院内には、上の写真にあるような小さなタイル装飾がところどころに使われていて、
「こういうのって大事だよな……」と見つめる。

患者やその家族の、ちょっとした心の慰め……。


ベッドがたくさん並んだ、ちょっと野戦病院をイメージするような部屋で、
検査に連れて行かれたZOOが戻るのを待ちながら、
iPadで「腸閉塞」「大腸がん」「ステージ」等々、必死で調べまくった
(「『ステージIII』までは手術ができるのか……」と)。


医師から告げられた言葉は、
「『横行結腸がん・ステージIV(←推定/がんは病理検査をするまでは正確な診断が難しい)』・
 肝臓にも転移、イレウス管で腸内を減圧してから、手術。入院期間、約3週間」……。


救急車でたどり着いた初めての病院から、
日暮れどき、ボーッとした人間が帰宅するのは結構タイヘンなものである。

中央線の武蔵境の駅がガラッと変わってしまって、
ひばりヶ丘駅行きのバス停がなかなか見つけられなかった。


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7月7日。心配だよね……。


7月10日。手術。

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術後の説明はこの走り書きの通り。


元々ビョーキでアタマの血の巡りが悪い上に、ひどく動揺していたので、
術前に看護師さんから預かった病室のロッカー・キーを手首につけたまま帰宅してしまう。

末梢神経障害があるので、冷房の効いた病院に7時間近くいて、
椅子に座っていると脚に大判のコットン・ケットをグルグル巻きにしても凍えてしまい、
帰りは、歩けることは歩けたのだが、あまり脚の感覚がなかった。

夜のうちに病院に電話し、翌日、靴下など必要なものと一緒に届ける。

飲水も経口薬もダメと言われていたので、精神科の薬は持っていかなかったのだけど、
一応持参するように言われ、「お薬手帳」を広げながら、
小さなビニールのパウチケースに仕分けし、
マジックで本人の名前・薬剤名・服用回数と用量を書き込み、翌日また持っていく。


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7月14日。

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7月18日。
側で見ていても哀しくなるくらい元気がない。


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術前の説明。

救急搬送時のCT検査の後、医師に、「腹腔鏡手術は?」と、
調べたばかりで口にしたことのないことを言ったら、「無理」と言われたのだけど、
こんな「切腹」並みの大手術とはね……。



術後、執刀医に、私が「予後は?」と突っ込んで訊ねなかったら、「1〜2年」とは教えてもらえなかった。

医師から本人にも説明済みと思ったら、メンタルに問題があると判断されていたのもあってか、
結局私がLINEのやり取りで「告知」するかたちになってしまい、焦った……。


入院中、精神科かかりつけ医から、
「『末期がん』は介護保険の適用になる」と教えていただき、
市役所で、高額療養費の『限度額適用・標準負担額減額認定証』をもらうついでに、
どう使うことになるかもわからないまま、介護保険の申請もした。


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7月25日、退院

ZOOが夜、定位置であぐらをかいて座っていると、
ヤマコは早速「グルグル……」と甘えながら、
“ZOOちゃん山” を何度も何度も昇ったり降りたりしていた。

   

本人は手術の痛みもあり、普段以上にピリピリしており、
帰宅早々、強剪定してあった庭のオリーブの木を見て、
「丸坊主にするのが好きなのか!気分が悪い!」と怒るので、先が思いやられる。

「オムライスが食べたい」と言うから、買っておいた鶏肉で、人生で初めてオムライスをイチから作る
(以前は、ご飯は鍋で炊いていたのだけど、入院中に炊飯器を購入しておいた)。


8月27日、抗がん剤を直接胸部に点滴するための『CVポート』という
「栓」を取り付ける手術をするため、再度1泊2日入院。


私も忙しかったので、その後はあまり写真を撮る余裕もなく……。


手術後すぐに、精神科かかりつけ医から「がんは、悪くなるときはガクッと悪くなる」と聞き、
その医師の元・同僚の精神科医がいるホスピスの名前を聞いていたのだが、
ホスピスに入るとしたら、介護保険を利用するのかしないのか……?
渡されたパンフレットを見ても、ほとんど高齢者を対象にしたような内容で、イメージできなかった。


市の認定員との面談の際には、あらかじめA4・1枚の資料で、
ウチのふたりの状況をまとめておいた
(大概の男性にはメンツがあって、面談時、普段よりシャキッとして、介護度が実情より低くなりがち。
 書面なら当人に見せずに渡せるし、認定員にその場で読んでもらえ、判定の材料にしてもらえる)。

ご両親を老人ホームに入れている友人(お父さんが高齢の上、精神疾患もアリ)から、
「(認定員の)帰り際に追いかけて行って、本人の前で言いにくいようなことを伝えたんだよ」
と聞いていたので、それも真似した。


介護認定は「要介護1」。

でも、抗がん剤の副作用対策に『人参養栄湯』をのませていたせいか、
手術の傷が治ったらよく食べるし、歩けるし、階段も上れるし、自転車も乗れる。

認定がおりても、「事業所」をどうするか、数ヶ月間放置しておいたのだけど、
3月下旬、近隣の総合病院が経営している事業所のケアマネージャーさんに
初めて自宅にお越しいただき、ご相談した
(この方が「大当たり」というか、大変頼りになる方で、もう感謝してもしきれない……🙏)。


自宅に戻り、ウチの急な階段では、いつどうなるかと、
早速ケアマネさんからM病院の医師に介護用ベッドの打診をしていただいたら、
「まだ歩けるのにベッドなんて……」と断られたそうだ。

でも、階段ではなかったが、
ある日の未明、ZOOが就寝時に精神科の薬を服用した後に歯磨きをしながら意識を失い、転倒。
丈夫なアーコールのチャイルド・チェアが壊れ、肋骨を骨折した。


手術の傷が治ってからは、
抗がん剤治療が始まっても割合元気にしていたので
(自転車をかっ飛ばしてステーキ屋さんに行ったり……)、
私の方が彼の “終末期” を乗り切るために入院治療(←治るという確実性はナシ)を試そうと思い、
キャリーバックにパッキングしていたのだけど、「こんな状態では、やっぱり無理……」と諦める。


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2020年・大晦日の夜。

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2021年1月9日、2階の私の布団の上で。

ZOOは起きているときは1階の茶の間で
YouTubeやポッドキャストなどを聴いていたので、
極力邪魔にならないよう一人にさせていた。


GWの少し前、腫瘍内科診察時に、ZOOと私が
無理な(=人工呼吸器をつけるといった不自然な)延命を望んでいないことを確認した主治医と病院スタッフから、
緩和ケア病棟(ホスピス)のある病院を複数受診して、申し込みをするように指示を受ける。

本人が「行きたくない」と言うので(しかも、後から「俺はそんなことは言っていない」と言い張る💦)、
M病院の患者相談室の方に清瀬市の2ヶ所の病院受診を調整していただき、
1日で2ヶ所、二人で受診・見学に行く。
残りのひとつは、コロナ禍のため、家族のみの面談と言われ、自分で連絡してひとりで面談
(ソーシャルワーカーの方や、私と同い年の元・外科医の担当医とお話しさせていただき、この病院に決める)。


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2021年7月6日。

この頃には通院時、最寄駅までタクシーを使うようになった。
この日は、血液検査の結果が芳しくなく、抗がん剤点滴は取りやめに。

1週間後にCTを撮り、その1週間後の診察時「抗がん剤治療の効果なし」とのことで、
治療の中止が決まる。


8月15日に2度目の「腸閉塞(十二指腸狭窄症)」を起こし、明け方に近所の救急病院に搬送される。


ケアマネジャーさんは、この病院の系列の事業所の方で、大変よくしてくださったが、
病院本体はサイテーだった(「こんなところで死なせてはいけない」と思った)。

ZOOが「食べるのは無理でも、また美味しい水やジュースが飲みたい」と切望したので、
結局、十二指腸のステント(金属製の網でできた管)留置術を
M病院ですることになり、8月16日にタクシーで転院。

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2021年8月19日(網戸越しに庭から)。


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8月24日。


ケアマネさんをはじめ、訪問診療の部署の方々と、
24時間いつでも来てくださる別の事業所の看護師の皆さんには、本当に感謝している。

ただ、判断が難しく、仕方がなかったのかもしれないが、
8月13日・初回の訪問診療時に出された経口麻薬剤『オキシコンチン』(痛み止め)1錠を
服用した途端に吐き気と嘔吐が止まらなくなったので、
大腸の半分を切除し、腹膜播種(ふくまくはしゅ=がんが腹膜内に散らばるように広がっている状態)を
おこし、抗がん剤治療を終了した患者に、
消化器の動きが悪くなる経口剤がされたことには疑問が残った
(後述するような、貼るタイプの麻薬剤もあるので……)。


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後からケアマネさんから聞いたところによると、
M病院で十二指腸のステント留置術をして、また元の病院に戻り、
そこから、既に「ここ」と決めていたホスピスに入ることもできると、本人に話されたそうだ。

しかし、本人は強く帰宅を希望したとのことだった。
誰だって、一度はウチに帰りたいだろう。
でも、私のことが心配だとか言っていたらしいけれど、それは大ウソ。
本当は、自分が怖かったのだ
(意識が朦朧としてきてから「ホスピスに入るの、怖いの?」と聞いたら、「うん」と)。


内視鏡手術を担当したM病院の内科医からは、お電話で、
「『飲める』ようにはなります。ただ、最終的にはこうなります」と丁寧に説明していただいたが、
戻った病院の主治医(=院長の息子の副院長)からは何の説明もなかった。

介護用ベッドを入れられるよう、 Macを処分したり、慌ただしく片付けながらも、
「流動食しか食べられない重病人を、難病持ちの私が一人でどうやって看ろというのですか?
 家族の立場も考えてください!」と、ケアマネさんに訴えたが、
主治医からは何も説明がないままだった。

退院後の患者に対峙する家族は、健康体とは程遠い私ひとりだというのに。


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真夜中に救急搬送された際、あまりにも病院スタッフの対応が酷くて愕然とした
(最初に出向いた近医の医師が「この辺の病院は頼りにならない」とおっしゃった意味を痛感……)。

それでも、担当外科医がM病院の執刀外科医と電話で相談し、
早々に「転院・手術→転院」の判断をしてくれたことに感謝していたので、
戻ってきた際に少しでも対応がよくなるよう、
『坂角の海老せんべい』に手紙を同封して、ナースステーションに置いてきた。

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でも、後々、ケアマネさんから、
「あの病院では盲腸の手術くらいしかできないっ!」と、本音を聞かされた
(埼玉の医療水準は概ね低い……)。


病院での主治医を差し置いて、
訪問診療の主治医が、入院中の患者の「病状説明」はできないということなので、
後日、その医師の「見解」をご説明いただくことになった。


ドロドロの流動食が口に合わず、食べられずにいたZOOは、
看護師さんから「完食しないと退院できない」と聞かされ、絶望したそうだが、
『エンシュアH』という缶入りの甘いハイカロリーの栄養ドリンクが出され、それは飲めた。

「ビール1ケースくらいの量を渡されるのかな?」と思い(まさに24本だった)、
大きなリュックを背負ってバスで迎えに行く。

9月2日、退院。


9月3日、訪問診療。

腹水が溜まっている『がん性腹膜炎』の状態で、十二指腸が盛り上がり、
『閉塞性黄疸』が進んでいるとのことだった。


入院中に、『デュロテップ』という貼るタイプの麻薬剤が使われるようになり、
痛みは管理できているようだった。

でも、かなり長い時間ガサゴソ薬の袋をいじった末に、
「薬の整理ができなくなっちゃったよ」と、つぶやいた
(薬の袋には、画数の多い摩訶不思議な「漢字らしきもの」が書かれていた)。


それから、随分と昔のことを、ポツン・ポツンと思いつくまま話すようになった。

(私が会社員だった頃、
 ウィークデイはワンオペ家事に追われ、新聞をゆっくり読む暇がなく、溜まりがちだったので、
 夏休みの旅行の車中で新聞を読んでいたら、ZOOが怒り出したことがあったのだけど……)
 「うーちゃんは、俺が死んだら、また新聞を取ればいいんだ」、とか。

(福山雅治さんのビデオ・クリップの撮影のとき、たまたま私の誕生日で、
 突然ZOOが電話してきて福山さんに変わったものだから、対応に困ってしまったことがあったのだけど……)
「あのときは(プロデューサー氏から精神的に追い詰められ)、うーちゃんを利用したんだ」
……等々。

「麻薬剤って、自白剤みたいだな……」と思った。

あるホスピスの医師が、「最期には、精神科の薬がいらなくなる」と言っていた意味がわかった。
最後の2日間くらいは、子どもみたいな「素(す)」のZOOになっていた。


ほどなく、熱もなく血圧も正常なのに、
意識が混濁してきて(=黄疸の症状)、何時間もトイレに立てこもってしまうようになり、
週末の9月10日(金)、24時間サービスの看護師さんを呼び、判断を仰いだ。

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2021年9月11日。

「要介護1」でも、医師が「必要」と認めれば、
介護用ベッドが借りられる。



看護師さんが、「もうホスピスに入るような状態」とおっしゃるので、
訪問診療部の看護師さんにお電話して、清瀬市のS病院に入院する手続きをお願いした。


9月15日(水)にホスピス入所が決まったので、義兄に上の写真をLINEで送り、
「ホスピスに入所したら、思うように面会はできなくなると思います」と書いたら、
たまたま翌日の土曜が非番とのことで、「行く」と。


ZOOも私も、義父の長年の介護にはほとんど関わらなかったが、
義兄からはひとかたならぬ経済的な援助を受けており、とても感謝している。

ただ、義兄が、このコロナ禍の中、
消防隊長・救急隊長として激務に当たって疲弊していることは十分承知していたけれど、
また、同居する高齢の義母にZOOの病状を伏せていたのは非常に苦しかったとは思うが、
「(結果的に1年2ヶ月の間)末期がんの弟の様子を見に来ない兄弟関係って何?」
といったことを、泣きながらZOOに言ったことがある。

彼は「ウチはそういう兄弟なんだよ。」と話していた……。


9月13日(火)、午後2時から訪問診療の予定が入っていたが、
13時すぎにZOOが赤黒い液体を嘔吐(後にかかりつけ精神科医から「胆汁」と聞いた)。

「早く楽になりたい」というのが最後の言葉だった。

13:45に反応がなくなり、何度も血圧を測ったが測定できず、事切れたことを悟る。
15時前に先生と看護師さんが到着、死亡確認。

その後にすぐ、24時間態勢の別の事業所の看護師さんお二人がいらして、
なきがらをお浄めしてくださった。

気温が高く、ヤマコもいたので、葬儀屋さんに夕方来ていただいて、なきがらを搬送してもらう。

開いた掃き出し窓から、ヤマコ、ひさびさに脱走。ほどなく戻る。


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9月19日。

「父さん」が最後の入院から帰ってきてからは、寄り付かなくなり、
決してこの介護用ベッドには乗ろうとしなかったのに。


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家にあるもので、急拵えの “祭壇らしきもの” をしつらえたときには、
アナベルに手を出して早速花瓶を倒したヤマコだが、
なんだかこのときには「わかっている」ように見える。

9月22日。

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9月25日。
まだ、この頃は爪研ぎをしていたね。


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そっか……。
「介護」が終わって、ボロボロの爪研ぎを新調したんだった……。


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またたび粉の匂いを嗅ぐ。


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2021年9月30日。
額の「M」の字。


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2021年10月3日。
ぐわしっ。


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2021年10月3日。

洒落た猫グッズを買ってもことごとく無碍にされ、
結局、「シェルター」は最後まで段ボール箱だった。


川越の父の介護はずっと姉に任せきりだった。
ZOOの死後の諸手続きなどはあるものの、ウチの方が「終わった」ので、
父が誤嚥性肺炎で入院した病院のカンファレンスに「助っ人」として行ったり、
緊急時の連絡方法を決めたり(メールができる叔父には私が連絡する 等)、
自宅でできる “後方支援” をするようになった。


ZOOのお知り合いの方々の弔問へのご対応もポツポツ
(もうロクに料理もできないので、成城石井で買った王子のスモークサーモンとか、
 友人にいただいて重宝した冷凍笹寿司とか、
 ZOOの好きだったカブやセロリの糠漬けとか、せいぜいそんなもの)。

ヤマコは「父さん」のお知り合いの方々には、妙にフレンドリーだった。
「母さん」とふたりきりになってしまい、寂しかったのか?
「父さん」のことを思い出していらしてくださった方のことは、なんとなくわかったのか……?

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2021年、大晦日。
青っぱなが出ているけど、さほど痩せていなかった。


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長年、冬の骨董市出店時に使っていたmont-bellのフリース毛布でおくるみ状態。


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2022年2月3日(「母さん」の「母さん」の誕生日)。
この頃はちょっとふっくらしてた。


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3月3日。「父さん」の誕生日。


動物病院で、それまでの抗生剤(エンロクリア錠150mg)の代わりに、
新しくもらった抗生剤(ビブラマイシン錠100mg × 2回)をのむと吐くようになり、
「抗生剤では副鼻腔炎の膿は出せない→だから一時的に治ったように見えても根治しない」
という記述をネット上で知り、近所の漢方薬局に相談したのが、3月下旬。

4月に自分のリツキシマブ点滴治療実施が決まり、
長時間、家を留守にもするし、「もう強い西洋薬はのませられない」と思った。


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参考にしたのは、『猫のとらじの長い一日』というコミックエッセイ。

エイズを発症した猫が動物病院で「余命3日」と言われ、
「主さん」がネットを調べ尽くし、
「エイズは治せなくても漢方で免疫力をUPさせることはできる」
という情報を得て、漢方薬局に駆け込んだ次第が描かれている
(結局、この方の猫は、その後4ヶ月間生きた)。


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ウチの最寄駅のそばの漢方薬局のご主人は、
ヤマコに処方されている抗生剤の量(ビブラマイシン錠100mg × 2回)は、
人間にしても相当な量だとおっしゃっていた。

猫を飼っている方のブログを読んで、
自分であたりをつけていた『葛根湯加川芎辛夷(かっこんとうかせんきゅうしんい)』
について尋ねると、「(この歳の猫には)強すぎる」ということで、
最初はインフルエンザなどにも良いという『板蘭根(ばんらんこん)』を
(上記の本にも載っている)。

これが効かなかったので、
鼻の炎症にいい『辛夷(しんい)』に、体力を補う『補剤』
(体を温め、マイルドな炎症効果もある『桂枝』他、さまざまな成分を調合した薬。
 人間で言えば『補中益気湯』『十全大補湯』『人参養栄湯』など)
を混ぜて処方していただいた。

同時に、乳酸菌入り『ちゅ〜る』や、マッサージなどでも、
お通じの具合が今ひとつになってきたので、『センナ』について尋ねたところ、
『センナの実』は効き目がマイルドだということで、合わせていただいた。

薬の類はゴハンに混ぜると食べないけれど、センナの実は、
“カンカン(=ウェットフード)” +獣医用『ちゅ〜る』の
「ゴハン」に混ぜ込んでも大丈夫だった。


20年以上前、実家で飼っていた『よね』が老齢になり💩秘してしまい、
動物病院でバキューム機で吸引され、
その場で死んでしまったという事実が頭にこびりついており、
母が「あんなことをしなければよかった」と泣いていた姿を今でも思い出す。

上記の本でも、女医さんが『とらじ』ちゃんに対し、
「摘💩」する場面が描かれていて、それだけはどうしても避けなければと……。


4月4日、寝る前に
『ニコニコ動画』で伝説になっているらしい 『仁義なきトーマス』』を観て、
脳内に “東映色” が残っていたせいか、梅宮辰夫さんがヤマコに酷いことをする夢を見て、
寝言で抗戦しながら目が覚めた……。

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この映画での梅宮さん、全然怖くないんだけど……。
ZOOがひところ『不良番長シリーズ』を観てたときの記憶とMIXされたのか?


睡眠障害対策と疼痛緩和を兼ねて、睡眠導入剤2種類と
(眠り続けるための)中時間型の睡眠薬を1種類飲んでいるのだけど、
導入剤が切れるとREM睡眠しかできないので、よく悪夢を見る。


処方していただいた漢方をのませ始めても、5日間位食事をしなかったのだけど、
普段の体調不良時のように暗いところに閉じ篭もらなかったし、
眼に力があり、表情がしっかりしていて、割合いつも通りの様子なので、見守っていた。

そのうちに、急にゴハンを食べるようになり、鼻水・くしゃみ・咳が少なくなってきた。

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2022年4月11日。
いっぱい食べるようになった!よかった!


この月は、「母さん」、週1で朝から信濃町のK應病院で長時間の点滴治療。

家の中は寒いから、ウェットフードもカリカリも目一杯出しておいて、
湯たんぽをあてがって出かけたけど、帰宅してヤマコの様子を見るまでは気が気ではなかった。


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4月30日。

割合落ち着いてはいる。
でも、「ただいま!」と言っても、もう玄関まで迎えに来ない。


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5月8日。
元気だけど、顔がちょっと痩せてきた。


センナの実だけにして様子を見てみたが、副鼻腔炎はだいぶ改善されたように見えた
(代わりに、梅雨の頃は自分の方が不調に……💦)。


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8月10日。


妙に飲水量と尿量が増え、今までそんなことはなかったのに
水道の蛇口に口をつけてペロペロ水を飲みたがるようになった
(専用の洗面器やボウルに入れた水より、冷たい水が飲みたくなってきた?)。

そして、お通じが滞ると、床に盛大に水っぽいものを吐瀉するようになり、
這いつくばって掃除するこちらも、かなり消耗……。


「これって、腎臓が悪いの……?」という気がしてきて、
8月20日、爪を切ってもらいに動物病院に連れて行った際、血液検査をしてもらった。

体重が3kgを切ったヤマコのか細い脚から、検査に必要な血液を採るのが大変そうだった
(自分の採血も、担当の人に「一番細い針でお願いします」と言っているので、 体感としてすごくよくわかる……)。


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2022年8月21日。

結構食べているのに、痩せてきている。
顔がそろばん玉みたいにとんがってちっちゃくなってきて、
抱えたときの軽さに、言いようのない気持ちになる。


検査結果に異常がなければ郵送ということだったが、
先生からお電話があり、腎臓の数値が悪いとのことだった(あと、肝臓の数値も少々)。

8月24日、お腹の毛を剃ってもらって、エコー検査をしたところ、左の腎臓が萎縮しているとのこと。
小さく白く写っているのは、結石か、石灰化した部分だという。


漢方薬局に相談したら、人工透析をしている方やがんの方にも使うという
『霊芝』(シベリア産の『チャガ』というサルノコシカケ科のキノコ)を処方してくださった。


ヤマコの左の腎臓が萎縮してしまったのは、加齢のせいなのか、
ずっと服用していた抗生剤が負担になったのか?

寂しがり屋の「父さん」が、「ヤマちゃん、こっち来なよー」と呼んだのか?

4月の「留守番」が寂しかった?


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2008年8月14日。永福町の家の庭で。


ZOOは2006年に長編劇映画・第2作のクランクイン3日前に監督を降板し、
「眠れない」というので、私のかかりつけ精神科クリニックに連れて行った。
「睡眠導入剤だけでも」と思っていたのだけど、
処方される薬の種類や量、また、それまで時折見せていた言動からも
「うつ病という感じじゃないな……」という気がしていた。

でも、ヤマコのことは、とても可愛がっていた。

私は子育ての経験もないし、あまり猫をベタ可愛がりしないタイプだったのだけど、
ZOOが「ギュッとする(=抱きしめる)とゴハンを食べるんだよ」
と言うのを聞いて、ハッとしたことがあった。

「そうだよね……子どもとおんなじで、『父さん』や『母さん』にギュッとされたら、
 嬉しくて満ち足りた気持ちになるよね……」と気づかされると同時に、
改めて「この人は、子どものまんまなんだ」と。


*****************


私は2階に布団を敷いて寝ていたのだけど、
ヤマコが朝のゴハンの催促以外は2階に上がってこなくなってきたので、
1階の押し入れ下段を片付け、奥行きいっぱいある巨大段ボールで、
“シェルター” を新調した(『ヤマコ・ホテル・グランデ』……)。

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自分も、厚みのあるマットレスを買って(畳んでクッションを置けばソファー代わりになる)、
1階で寝るようになった。

だんだんヤマコが、触わったり抱っこしたりするのを避けるようになってきたので、
つかず離れず見守るしかなかった……。


instagramとTwitterとFacebookに、
私の下手くそな「名前連呼型・猫バカ全開・寝子守り唄」に反応するヤマコの最後の動画をUPしている。


9月19日にその動画を撮った後、火葬車の業者を検索して探した。


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9月23日。

21日頃からゴハンを食べなくなり、
シリンジで与える薬もうまく飲み込めなくなってきた。

前日から水も飲まなくなった。
トイレを使っている様子もない。

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後で、ペットシートが濡れていることに気がついた……。


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これも、後からかかりつけ精神科医に聞いたのだけど、
腎臓が悪いとやはり熱感があるとのことだった
(『父さん』の肝臓とおんなじ……)。

好きな畳の上に移動したかったのかなと思ったけれど、
“シェルター” が濡れてしまい、心地悪かったのかもしれない
(ごめんね……🙏)。



18時頃、お風呂場から一段高くなったトイレのタイル床の奥の方で見つける。

荒い息をして苦しそうに壁にピタリと体をつけていたのだけど、
ひんやりしたタイルの上にわざわざ移動しているのだから、
触ったり移動させたりしない方がいいだろうと思い、そのままにして、
いつものように「夕寝」をした
(この時間に休まないと、夕食後、起きていられない)。


2時間程して目が覚め、ハッとしてトイレに駆けつけると、ヤマコは便器の前の方に移動し、
四肢を投げ出して横たわっていて、もう息をしていなかった。

「こんなところでひとりで死なせてしまった。なんで、一緒にいてやらなかったんだろう……」と、
後悔の念でいっぱいになり、「ごめんね……」と号泣するしかなかった。


あらかじめ考えていた、ブーツが入っていた白い箱には収まらず、
Amazonの段ボール箱に、裂いた45Lのゴミ袋と白いタオルを敷き、なきがらを収め、
家の脇の供用地で育てているアナベルの花をちぎって敷き詰めた。

火葬時には、ビニールなど燃えないものは入れてはいけないのだけど、
体内から滲出液が出るかもしれないので……。

1年前に『父さん』にしたことと全く同じだった。

ただ、息を引き取る瞬間をちゃんと見届けてやれなかった自分が情けなく、
どうにも腹立たしくて、いつまでも涙が止まらなかった。


業者さんに電話すると、翌日は予約が入っていて、台風も来ているからと、
火葬車は、1日おいた25日(日)の午後に来てもらうことになった。

電話で「(この季節でも)1日位は大丈夫ですよ」と聞いたけれど、
なるべくきれいな姿のままにしてやりたくて、
深夜、レインコートを着て、保冷剤を買いに24時間営業のドラッグストアに行った。

「おいていません」というので、冷やして固めるジェルタイプの「氷枕」を4つ買う。

冷凍させてビニール袋に入れて、ふたつづつ。溶けてきたら、あとのふたつと取り替える。


台風のおかげで、「お別れ」する時間が1日できた……。


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25日、業者さんが来る前に、体を拭いてやり、お日様の光の下で再撮。
もうアナベルの毒を気にする必要もない。

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2015年7月19日。
暑い夏の日、よくアナベルの根元で涼んでいたっけ



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『父さん』とお揃いの額。


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真ん中は、出会ったときにつけていたボロボロの首輪。

奥のふたつは、押し入れに閉じ込めてしまって以来、
室内でもつけるようになった軽量タイプ。


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2007年9月の夜、初めてウチの中に入ってきたときの写真。

昔、ブログに載せたときは、
「やっぱりまだこの頃は、目が険しかったなー」と思ったのだけど、
明るく補正してみたら、微かに微笑んでいるような顔をしていた。

いろんな後悔ばかりが渦巻いていたけれど、
「ウチに来て、嬉しかったんだな……」と、やっと思えるようになった。


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ヤマコっぽいイメージの文様の端切れを引っ張り出してみる。
ギリギリ骨壷が包めるサイズだった。


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ヘッドフォンをつけた仕事中の額入り写真は、もう、来客時だけ出すことにする
(その代わり、Facebookなどで作品の紹介をポツポツしている)。

私がポラロイドSX-70で撮った、このボケボケ写真でいいよ。



ZOOは、「家族写真」を撮るなどと言いながら、最後まで「自分の死」と対峙できなかった。

「俺が死ぬまで、俺のものは全部とっておいてくれ」と言って、
自転車で好きなランチを食べに出かける欲と体力はあっても、本の1冊も処分しようとしなかった。

がんになる前、私が死んだら私のものは全部捨てると話していたから、
「形見分け」といった発想もないし、その労力も想像できなかったのだろう。


『(自己愛性)パーソナリティ障害』は、「性格」の良し悪しなどではない。
「自覚のない病」だ。

プライドの基盤が脆弱でコミュニケーションでつまづきやすい者は、精神疾患になりやすいが、
メンタルの強靭な人間は精神科や心療内科になど行かない。

パワハラ上司・モラハラ・クライアント、セクハラ教師、DV夫……。
世の中にゴロゴロいるそんな人たちの中に、一定数、混じっていると思う。


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今は、こんな感じで、「3人」で暮らしている。
「お墓まいり」をしないで済むのは、私には都合がよい。

もしかしたら、
「お墓」でZOO一人と対峙されたい方もいらっしゃるかもしれないけれど……。



最近、伊集院 静さんが愛犬の死について書かれた新刊を、
近所のスーパーの書籍売り場で立ち読みした。

 日本の作家でペットを可愛がり、四六時中そばに居させた例は、
 写真や周囲の人たちの話でよく耳にするが、
 不思議と作家が彼らのことについて書いた印象深いものは少ない。
 −−なぜだろうか?
  と考えてみて、自分でも愛犬のことを思いつくまま書いてみたが、
 これが簡単に書けないことがわかった。難しい作業であり、辛い時間と向き合わなければならないのだ。

……と記されていた(「内田百閒の『ノラや』はどうなん?」と思ったけど……)。

人それぞれ、生きものそれぞれの出会いと別れがあり、
いくつもの情景や表情や仕草が浮かび上がってきて、
言語化しようのない「想い」が胸中を埋め尽くし、プロの文筆家でも難渋するのは想像がつく。

一緒に長年暮らして、先立っていった動物たちに対しては、
子どもと親をいっぺんに亡くしたような寂寥感と、
「ごめんね」「大好きだったよ」「ありがとね」という言葉しか浮かばない。


*****************


自分は、最終的にどこに住んで、どこで死ぬことになるのかな……?

ZOOが亡くなった頃は、檀家以外でペットと一緒に樹木葬してもらえるようなところは、
格安の千葉のNPOしか見つけられなかったけど
(どうせ墓参りなんて来る人もいないから、
 土に埋まってさえいれば、どこでもいいと思っていた)、
先日、「川越・樹木葬・ペットと一緒」で検索して、一応、資料請求してみた。

まあ、横浜でもどこでもいいのだけど、埼玉の方が安いような気が……。


*****************


ネット上でしかやり取りをしたことがない方のほうが多い気がしますが、
ヤマコは本当に皆様にかわいがっていただいたと、感謝しております。

年内ギリギリとなりましたが、
ようやくご報告できて、肩の荷が少し下りたような気がしております。


ヤマコのなきがらやZOOの終末期の写真を載せてしまい、
悲しく辛い思い出が蘇ってしまった方がいらっしゃったら、申し訳ありません。

また、今、まさに、
ご自身やご家族がこうした渦中におられる方もいらっしゃるかもしれません……。

でも、私もいまだに引きずっておりますが、
ヤマコについて、「虹の橋を……」と書くのは、なんだか違うような気がしたのですよね。


以前も書きましたが、ZOOの闘病については、自分なりにできることは全てやりきりました。

私は、ZOOのなきがらの写真も、今年2月に亡くなった父のなきがらの写真も撮って、
最期に立ち会えなかった、ごく近しい人にだけ送ったり渡したりしました。

昨年の9月はZOOのなきがらの目と口を手で押さえ
(人の場合は、訪問看護師さんがいらした際、「マズル」のような針金を口に巻いていただけましたが)、
今年の9月はヤマコのなきがらの目と口を押さえました。


でも、生と死は地続きというか……
(これも猫バカといえば猫バカなのかもしれませんが)、
ヤマコの最期の顔は、隠すようなものではないという気がしたのです。

これは飼い主さんによって、いろいろなお考えがあるかとは思いますし、
「猫ブログ」ではないので、猫がお嫌いな方のことも考慮しないといけないのかもしれませんが……。

もはや、古物商の体を成しておりませんし、
「『日記』なんだから、“私写真” を載せたっていい」と、勝手に考えた次第です。


当ブログ最大の “癒しネタ” がなくなってしまい、
残ったのは訳のわからない “ビョーキ・ネタ” ばかりとなり、
もしかしたらinstagramに移行する可能性もあるかもしれませんが、
遺品整理が一段落し、体調が落ち着いた際には、
在庫の品を並べて「ひとりWEB骨董市」をやりたいという考えもあります。

とりあえず、今は、検査もリハビリも治療も中途半端ですので、
これ以上悪化しないよう、ゆるゆる・ノロノロと暮らすつもりでおります。

リアルな “社交” が難しい分、SNSで精神の安定と認知力を保っておりますので💦、
今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。


いろいろ大変なことを抱えている方も多いかと思いますが、
努力次第でなんとかなることと、自分の力ではどうにもならないことがあるかと。

皆様、あまりご無理をなさらず、頑張れそうなときは頑張って、
疲れてきたらテキトーに力を抜いて、
心と身体のコンディションを保って、なんとか上手く生き抜いてください。

どうぞ、佳いお年を。



☆【Facebook】【Instagram】【Twitter】……フォローは御自由にどうぞ。



Commented by totonoji_j44 at 2022-12-30 00:55
名古屋のIです。
ご主人に続きヤマコちゃんまでお空に
登って行かれて本当にお辛いことと思います。もう、10年以上前からヤマコちゃんとの暮らしを拝見させてもらって来ました。本当に淋しいです。
私が先代の猫を亡くした時は、ヤマコちゃんに面影を見て慰めてもらいました。どうぞ、とうさんと安らかに。
かあさんもお身体をいたわってくださいね。
引き続きブログを楽しみにしています。
Commented by penelope33 at 2022-12-30 16:44
Iさん、コメントをいただき、ありがとうございます🙏。
また、お気遣いいただき、重ねて御礼申し上げます。

ヤマコは、ネット上で Iさんのような方々に見守っていただき、本当に幸せな猫だったと思います。

エキサイト・ブログ、たまに更新すると、フォントの大きさが勝手に変わったりして、とっても書きづらく、難儀しますが、やはり写真も文章もたくさん載せられる「ホーム・グラウンド」ですし、もはや「自分史」ですね(笑)。

もう、「アラ還日記」として、開き直っちゃおうかなーという気もしております。

今後とも、どうぞよろしくお願いいたします🙇。
Commented at 2023-01-26 11:13
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented at 2023-01-26 16:59
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by penelope33 at 2023-01-26 18:47
> mさま

ご返信が遅くなりまして、申し訳ありません💦。

今日は、埼玉から都心の病院に通院しまして、今、帰宅いたしました。

コメント、とってもありがたく拝読いたしました
(泣かせてしまって申し訳ないです……🙇)。

ご返信、おそらく長文になるかと(おそらく明日以降に……)。

とりあえず、ちょっと「夕寝」いたします……🙏。
Commented by penelope33 at 2023-01-28 01:45
ブログのコメントは、他のSNSのように、削除したり編集したりできないせいか、滅多に入らなくて
(最近の内容がヘビーなせいもあるかと思いますが……)、
コメントをいただけると、うれしいです。

ホントにありがとうございます🙇。


mさんと私、エキサイブログを始めた時期が同じなんですね……。


夫は、ウチで死ねたのはよかっただろうと思いますけど、彼の一生を考えると気持ちが落ちます。

結婚が自分に及ぼした影響は、大雑把に言えば「プラス・マイナス・ゼロ」でしょうか……?


病人が、重病人や、老いた動物の介護をするのは、やはりしんどかったです……。

夫の生前、一時的にですけど、夕飯を食べ始めて、私の方が、内臓が動き始めた途端に気分が悪くなり、
発作のように号泣した後、脚が動かなくなり、階段をいざって降りたこともありました。
なんとか立ち上がって、食べられなかった自分の食事にラップして、食器を片付けて、寝ましたけど。

それでも、どちらが重篤な状態かといえば、末期がん患者なわけで。
向こうから見たら、私の心身に何が起こっているのか全くわからないんですよね……
(ただ「俺のために泣いてるのか」と思うだけで)。

まあ、夫については、やり残したことはないです。

彼が残した作品で、自分が良いと思うものについていくつか紹介していますが、
それが終わったら、「一区切り」つけるかと。
Commented by penelope33 at 2023-01-28 01:48
猫の腎臓病の本を読むと、『抗うつ剤』を使用するということも書いてあって、
これ、人間でも同じなのですけど、痛み止めなんですよね。

もう薬がのめなければ、痛み止めは注射しかないわけで、
でも、動物病院で怖い思いをさせても……と(ヤマコの最期の日は祝日でしたし)。

ただ、辛そうに大きな声で一度絶叫したのが忘れられなくて、
何か苦痛を和らげる処置をしてあげるべきだったのかと、今でも反芻することはよくあります……。


本文中の「Twitter」から、最後に撮った動画に行けるようリンクを貼りました。

『ヤマコの歌』https://seirentei.exblog.jp/8050196/ も、流石に飽きてきたので、
「楽しげな歌って何かな?」と思ったとき、「そっか、ビートルズっていう手があったか!」と思って、
私はジョンの方が好きなのですが、やはりポップな曲というとポールの曲になるんですよねw。

ヤマコは名前を呼ばれるのが好きなので、反応するんですけど、目の色が薄くて……もう、長くないなと。
雪山で遭難して意識が遠のきつつある仲間に呼びかけてるような感じでした。

この『Lovely Rita』が入っているアルバム『サージェント・ペッパーズ〜』は、当分聴けないです😢。


今は、自分のことだけ考えればいいので、いろいろ不自由はありますし、先の不安もありますが、
「重荷」を下ろした感じでしょうか……。
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by penelope33 | 2022-12-29 03:05 | つれづれ | Comments(7)

古物商(ロータス・ブルー/青蓮亭)。『シェーグレン症候群』のため、ほぼ休業中。Semi-retired antique dealer. Volunteer of a NY-based non-profit foundation providing trauma care for children. Modern art works on sale for charity.


by 青蓮亭
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